そこにいた命
あっという間に逝ってしまいました。
闘病生活は2週間。具合が悪くなってからあっという間でした。
庭で水浴び&泥んこ遊びをして私の足に自分の身体に付いた泥をくっ付けて、
逃げても逃げても追いかけてきて私の足に身体を擦り付けて…
という遊びをしていたのがほんの1ヶ月前。
アルブミンの数値が低すぎて、すぐにステロイド投与。毎日、日曜日も関係なく病院に通いました。
毎日の点滴は辛かっただろうに、針を刺されるのに鳴かない、吠えない、暴れない、噛みつかない。じっとしているんです。我慢強い子でした。
後ろ足が立たなくなり、トイレに間に合わず家の中に下痢を撒き散らしオムツに。トイレにするよう躾けてあったので、かなりショックを受けた様子。
それでもオムツにオシッコしたくない、トイレに連れて行ってくれと鳴くんです。前足で必死に身体を動かして、途中で力尽きてオムツにオシッコをしました。
「オムツにできたね、偉いね」と声を掛けながらオムツを換えましたが、ショックを受けている様子でシュンと…本人がオムツにすることを諦めてくれれば、介護をしながらの生活が出来ると思ったんです。
が、それからが早かった。
亡くなる17時間前。それまでずっとグッタリと眠っていたのに、元気な時のように息子の手を長い時間、ペロペロと舐めてご飯も少し食べて、オムツの中にしっかりとしたウンチ(それまで下痢だった)もして、持ち直したと思いました。治る兆しが見えたと思ったんです。
それから6時間後にはいつものように通院。その時にはグッタリしていて、ちょっと元気を出したから疲れたのかと。
夜は疲れてウトウト
これが生きてる時の最後の写真になりました。
朝4時半にえずく音で目を覚ましました。
呼吸は大きく速く、お腹が大きく波打って辛そうです。私をじっと見つめていました。
それからピンとのけぞって、大きな息を一つ、二つ。
最期まで身体を撫でて名前を呼び続けました。
かわいい子でした。
とにかく会いたいです。
チャコさんは元々は祖母の犬でした。
90歳を目前として家族の反対を押し切ってチャコを迎え入れました。
家族が出掛けた隙にペットショップに電話して、連れて来て貰ったんです。帰宅した家族はビックリ。
なし崩し的に飼い始めたというわけです。
祖母に飼われた時は既に1歳を過ぎていて、売れ残りだったようです。母が祖母に幾らしたの?と聞いたら「6千円!」と答えたそうなので、六万だったのかなぁと。(高かったら怒られると思ったんでしょうね)
それから1年半して祖母は亡くなりました。
伯父、叔父のところでは飼えず、母にも当時コーギー犬がいたので飼えず、福岡から東京の我が家にやってきたのは2011年の3月10日。
地震にも遭って波乱気味の幼少期でしたが、その後は楽しく過ごしてくれたのかなぁ…。
もっと遊んでやれば良かったとか、もっとこうしてやれば良かったとか、後悔ばかりしています。
闘病生活が2週間だけだったのは、あまり苦しまずにすんだのかもしれません。
今日で1週間。
ここで寝ているはず、ここにいるはず。目の端でチャコの姿を追いかけてます。でもいない。
今日で1週間。
日にちがたって、思い出に変わっていくのが辛いです。存在は日常だったのですから。
演奏したらいけない曲?
演奏したらいけないなんて、怖いタイトルですが…
公演プログラムを考える時、選曲には色々と悩みます。
自分が演奏可能な曲かどうか(実力、声の種類に合ってるか)
前回演奏してないか
演奏時間とのバランス
公演の趣旨
季節
編成(ピアノと一緒なのか、他の楽器もいるのか)
ジャスラック…笑
などなど、
ありとあらゆることを考えて選ぶわけです。
Stand Aloneという曲をご存じでしょうか。
司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』をNHKがドラマ化。その主題歌でした。
この曲を依頼を受けたコンサートのプログラムに組み込んだ時に他所から抗議がありました。
(何年も前のことで解決しております)
私にコンサートの依頼をしてきたのは『9条の会』
プログラムを組むにあたって、入れて欲しい曲や避けた方がいい曲はありますか?と尋ねておりましたが、自由にどうぞということで事前にこの曲を出して許可されていました。
チラシに演奏予定曲を載せ告知したところ、
他の国を侵略した様子を描いたドラマの主題歌を9条の会主催のコンサートで演奏するとは何事だ!!
と(某国の人から)強い抗議がありました。
選曲した時はそこまで考えておらず、そこを突っ込まれたかと…。歌詞はドラマと関係ないような感じです。
抗議は9条の会に直接あったので、私は知りませんでした。9条の会ではこのドラマのことも、曲も、もちろん分かっていて、この歌は戦争とは関係ないと判断されました。私には知らさないで対応していたそうなのですが…
何がなんでも取り下げさせたかったのでしょう。9条の会の回答に納得いかず私に直接抗議がありました。
そういうことなら辞めましょうか?とプログラムの変更を考えましたが、抗議の仕方があまりに卑劣で暴力に屈することになるので結局、演奏することに。
私に直接抗議してきた方は「私たちに配慮して山田耕作の作品も演奏しないでくださる方もいる」と。
どうやら某国の人にとっては、山田耕作さんもNGなんだとか。
歌のコンサートでは特にご年配の方が集まるコンサートでは、山田耕作さんは外せません。
声楽を勉強する人にとっては避けて通れない作曲家の一人です。
普段のコンサートではOKでしょうけど、この時は選曲の難しさを感じました。
さすがに『露営の歌』とか選びませんが(歌うことはないです笑)戦争に関係ある作曲家まで演奏してはいけないとなると、選択肢が狭まります。
先ほどの露営の歌を作曲した古関裕而さんとかヒットラーに利用されたワーグナーやリヒャルト・シュトラウス、などなど…。作詞家もダメかもしれませんね。そうするとこの時代に生きた作詞家、作曲家の作品は全てNG。
演奏中に妨害があるかもと身構えておりましたが、結局、抗議をした方々はコンサートには現れず。
そういう曲をプログラムに入れてしまったのがそもそもの発端なんですが、どんな音楽でも奏でられる平和な世の中に、というのが9条の会の思いかと。
(さすがに「勝ってくるぞと勇ましく♪」なんてのはNGでしょうけど)
不快になってしまう人がいるのは音楽を戦争利用した人がいるからなんですね。(Stand Aloneは戦争利用されてないですが…)
抗議にしても戦争を仕掛けられたようで、争いが争いを生むというか、連鎖は断ち切る必要があります。ま、そもそもその曲を選ばなきゃ良かったんですが、そういう問題かなぁ???と。この曲、とても素敵な詩とメロディです。
なんでこんなことを思い出したのかというと、Stand Aloneの合唱譜をたまたま入手しまして。
他の楽譜を探していたら自動的に付いてきたんです。(楽譜って、ご縁がないと手元にはやって来ないのですよ)
余命宣告
ご飯が食べられなくなって、嘔吐したり下痢したり。お腹が異様に膨らんで元気もなくて、ついにはトイレに行かずお漏らし。
最初はハンガーストライキかと思ってたんです。フードは食べずにおやつは欲しがるという状態で…
病院に連れていったら血液検査でアルブミンの異常な数値の低さに「このままでは死にます」とステロイドによる治療開始。
症状としては蛋白喪失性腸炎ということだけれども、原因となる病気(病名)はステロイド治療を始めたので特定できないそうで。
高タンパク、低脂肪の食事をということで、ササミをあげたら貪るように食べてます。それをきっかけに、ご飯を欲しがるようになって、毎日のステロイド投与も効いて腹水も抜けて、今はこのように持ち直しました。
この病気のポメちゃんは多いそうで(遺伝病っぽい)早い子は4歳くらいで亡くなるとか。幼少時代は弱かったと聞いたので、元々持ってる病気だったのかも。それが12歳まで元気にいられたので、凄いですよとお医者さん。
病名は特定できないけれど、おそらくリンパ腫だろうと。悪性ならば3、4ヶ月。そうでなければ1、2年。
ペットと共にする時間はあっという間…
前にも歌えない日々があったなぁ…
緊急事態宣言は解除されてカルチャーの仕事は通常に戻りました。こちらは相変わらずユルユルと。
稲城市民オペラの稽古場にしている公民館は完全開館ではなく未だ活動はできない状況…
おかげで庭仕事がはかどります。
(このバラはペッシュボンボン)
フランソワジュランビルで、庭のバラもそろそろ終わりかと思っていたら、ルージュピエールに蕾が上がってきていました。
これは一番花。
またチラホラ咲いてくれそうです。
さて、
今のこの状況、歌う場所がないというこの状況、10数年前にも経験しています。
それは
『出産・育児』
上の子の時は出産して丸一年、なーんにもしませんでした。
その状況をマズイと思ってくれたピアノ科の友人が「なんでも弾くから楽譜持って歌いにおいで!」と誘ってくれて、そこから復帰ができました。
それから3年後、二人目の時には出産して3ヶ月過ぎた頃に「いつまで休んでるつもりなの!!」と歌の先生にレッスンに来るよう言われ、あれよあれよと復帰を果たしました。
そして今。
その頃より今の方がつらいです。
演奏する機会を奪われたままなのですから。希望を感じません。
スポーツ選手ほどではありませんが、私たち歌い手にもリミットはあります。「声は消耗品」と私たちの間ではよく言いますし、コンサートやオペラをやるには体力を消耗します。いつまでも歌っていられるわけではない…
ところで。
私たちが目指している歌唱は「ベルカント唱法」と呼ばれます。イタリア語で直訳すると「美しい歌」という意味。ベルカントで歌うよう指導を受けてきました。
なんと、「ベルカント」という名前のバラがあるのです。切り花品種らしいです。苗は出回ってないみたい。庭にお迎えは…無理そうですね。
サハラ 98の葉の上に赤ちゃんカマキリがいました。こんなに小さくても戦闘態勢なのがいいです。
バラに集まる虫たち
なんといっても可愛らしいのは、てんとう虫。
七星はたまにしか見掛けないです。
黒地に赤やオレンジが主流。赤地に黒がいたと思ったら、何だか点々が小さい。脱皮して羽を乾かしてるのがいたり、黄色てんとう虫、ヒメカメムシてんとう虫とかいうのも。
薄い黄緑色のハナグモ。
なぜか私に威嚇してきてます。
てんとう虫と一緒にいたんですが、大丈夫?
てんとう虫を食べるんじゃないの???
ハチ。
ミツバチではないような。
盛んに花粉を集めてます。足にくっ付けて運んでいるのもいれば、背中に乗せてるのも。
おまけ その1
お犬様。
庭の外に出て作業してたら追いかけてきました。
おまけ その2
暗くてよく分かりませんが、毎夜毎夜、二匹でやってくるタヌキちゃんの片割れ。
有田焼
バラに目が行ってしまいますが、花瓶。
有田の卸団地で購入してきました。一目惚れです。
卸団地はたくさんのお店が並んでいて、全部のお店に入って見て回るのも楽しいのですが、購入するお店は決めてあります。
有田は母の出身地で、祖父母(既に他界)は有田焼に従事してました。そのお店というのは祖父と付き合いのあったところ。詳しくは知りませんが「ここで購入しなさい」と言われているので他界した後も有田に行ったら行くことにしています。
で、祖父の名前を言ったら割り引いてくださるのですが、私たち夫婦がお世話になったわけでもないし、5年に一度くらいの、たまにしか行かないから名前を出さずに会計。
会計の後でやっぱり懐かしくなって話をしたら
「あら!どうして会計前に言ってくれないの!!」って。(結局、おまけを頂きました)
祖父が亡くなって10年近く。前にこのお店で購入したのは6年くらい前。さすがに名前を出しても、もう効力は無いだろうと思っていたんですが、祖父を懐かしがって、素晴らしい人だったと言ってくれました。
爺ちゃん、なんばしたと?
どんだけ???
次はいつ有田に行けるやら…