準備に3年半
稲城市民オペラ「愛の妙薬」は、Tokyo Tokyo FESTIVALの助成採択事業として開催しました。
説明会に参加したのは2018年3月。団長と私とで参加し、そこから市民オペラの楽しさを伝えたい!と運営委員会で何度も話し合い構想を練って「ボンジョルノ!市民オペラ」と銘打って団長が企画書を作成。提出し、採択されたのは2019年4月。1年ほどの準備期間を経て2020年5月に開催予定でした。
しかしコロナ感染症拡大防止のために緊急事態宣言が発動され、開催は取りやめになってしまい…
運営委員会で何度も話し合い。会えないのでZoomによる話し合いはいつもとは勝手が違い、相手がどう思ってるのか分かりません。中止にした方がいいという意見、延期したいという意見、様々な意見が交錯し、様子を見つつ機会を探るということになりました。
同じ規模、変わらぬ企画での上演を目指しましたが、コロナの状況はどうなるか分からず、突然の中止も有りうること。そうなった時に経済的負担はどうするのかという現実的な問題にぶつかり、より負担の少なくて済む上演方法にということで稲城市民オペラのホームである、稲城市中央文化センターに会場を移しました。
当初、oneday企画として、ロビーホワイエにて一般の方にもマエストロによる合唱の練習に参加して頂き、本公演の前に舞台上に上がって頂くという企画を考えていました。
しかし、コロナ禍ということで密は避けねばならず、これらを含む様々な企画を取りやめることにしました。これにより、出演予定だった歌い手をキャンセルせざるを得なくなったり、日程変更でマエストロも変更になりました。
「ボンジョルノ!市民オペラ」の精神そのまま、感染症対策も施して、どのように開催できるのか団員皆で知恵を絞りました。
そもそもオペラというものが密は避けられないのです。練習では声を発する。演技をすればハグをしたり密接する。
でも、そういうことを避けて表現しなければならない。
この矛盾した状況で、懸命に練習を重ねました。
ああもう、これだけの内容で疲れますね。
今回はコロナ禍になる前からの企画だったので、何としても上演したい!完遂させるぞ!という勢いと思いで上演に漕ぎ着けた部分も大きいと思います。
そして、愛妙が終わってしまった今、このコロナ禍にあってゼロから企画を立ち上げるのは、今まで以上の踏ん張りが必要…
これからは演奏家にとって、一つひとつの公演、本番がより貴重なものとなるでしょう。
これまでは少しずつ、若い人たちにも演奏する機会をと考えてきましたが、もしかしたら自分の演奏する場所を確保するだけで、いっぱいいっぱいになってしまうかもしれない。
演奏家には、殊に若い人には、本番をたくさん経験させる必要があると思ってます。
そして私も。
声のコンディションは良く、充実した感覚がある今の状態が続くのはあと何年でしょうか…
本番前の発声練習。荷物を持ったまま。
終わりました…愛妙。
お久しぶりです。
1ヶ月以上もブログを放置するなんて、初めてのことです。ブログ更新どころじゃ無かった…
普段の公演なら、こんなにブログも放置しませんし、むしろ公演に向かって書くことが増えていくんですが、
今回は普段の公演じゃなかった…
お伝えしたいことが山ほどある。
さて、どこから話そう。
最初のお披露目1枚目は、ネモリーノと。
2017年の稲城市民オペラの公演から、ずっと私の相手役です。「こうもり」では夫婦。「カルメン」ではホセとミカエラ、「ラ・ボエーム」ではミミとロドルフォ。お互い、適度にふくよかになって、今回も相撲取ってるみたいになったかも笑
いつまでも私の相手役…かもしれないです。
終幕でのアディーナのアリアでは不覚にも泣いてしまって、後奏で泣きじゃくっていたのを抱っこしてくれてました。
演技のやり取りは楽しかった。ありがとう。
だから相撲取ってるみたいになるって
稽古が立て込んでいます。
土曜日は合唱稽古ですが、合唱と絡む部分があるのでソリストも合唱と一緒に稽古をします。
今回はダブルキャストなので二通りあるわけです。
ネモリーノそれぞれの性格が違いすぎる!なんてパニック起こしてる団員もいますし、こっちはこうやったのに、あれ?ってみんな右往左往していて、見てるこっちは面白い!!(楽しんでてゴメン)
2日目のドゥルカマーラ
初日のドゥルカマーラ
ソプラノのある方は本気で笑っちゃってて演技になってません。
私(アディーナ)は出演しない箇所なのでお客さん気分で見ていましたが、笑い殺されるかと思いました。
ソリストさんは合唱団とは一年ぶりくらいに会うので、合唱メンバーの変化に敏感です。
「痩せたよね?」ってある方に言ってたネモリーノ。
こちらはジャンネッタとネモリーノ。
私の相手役なんですけどね、
「私たちもどっちかが痩せないと相撲取ってるみたいになるのよ!!」
痩せたよね?って言ってる場合じゃないです。
ホントに相撲取ってるみたいになるから。
長崎
今月に入ってすぐ、長崎で稽古をしておりました。
昨年5月に上演予定だった『愛の妙薬』
やっと、です。
長崎から合唱団も参加。当初の予定より人数は減ってしまいましたが、それでも来てくださるのは有り難い。小さな会場なので、それはそれで丁度良かったのかも。
それにしても、長崎の皆さんは底抜けに明るいのです。出身の私がたじろいだくらい。
「こんな人間がたくさん行きますけど、稲城市民オペラの皆さんは大丈夫ですか?」
なんて謙遜して言ってましたけどね、
「私で慣れてるはずだから大丈夫です」とお答えしておきました。
稲オペの皆さんは、苦笑いしてたりして😅
ホテルから稽古場へはオランダ坂の脇を通って。
稲城でも長崎の皆さんを迎える準備です。
乙女にお願い!
ピアノを習い始めて中級レベルに達した少女たちに好んで弾かれるようです。ちょうど小学六年生頃でしょうか…私の友人もその頃に弾いていたのを覚えています。
この曲、のっけから指を1オクターブ開いた状態での演奏になります。12歳頃の女の子の手…。けっこう大変なんじゃないでしょうか。
実は私は弾いたことが無いのです。あちこちで話してますのでご存じの方は多いと思いますが、高校生からピアノを始めたこともあり、ピアノのレベルは…(私のとんでもピアノエピソードは数知れず)
さて、そんな『乙女の手』による『乙女の祈り』の演奏は小さな手で必死になって1オクターブを弾くので、乙女、ではなく、何か別のものになってしまっているように感じておりました。
結果『乙女の祈り』という曲自体が、そのように演奏するもの、そういった曲として定着しているような感じもするのです。
今回のコンサートの練習でピアニストが弾き出した時にあまりのマエストーゾな感じに
「それじゃ、私、歌えない」
いやぁ、ソプラノ歌手って怖いですねぇ😱
ま、それは冗談ですけど、前奏部分の雰囲気で歌い出しも決まってくるので、マエストーゾ(荘厳に、堂々として)な前奏にはそれを上回るか同等のマエストーゾな感じで歌い始めるのが自然と思います。
が、そういう曲でもないので、ここはやっぱり『乙女』でお願いしました。
「昔、乙女だったかもしれないけど、乙女でね!」
いやぁ、ソプラノ歌手って怖いですねぇ😱
ボンダジェフスカを研究されているドロタさんに、楽譜など演奏に関する資料は残っているかお聞きしたら
「何も残っていない」ということでした。
ということは、奏者の解釈での演奏で何ら問題はないということでしょう。
マエストーゾも有りかもしれませんが、少女がスキップするようなイメージを持っていました。
でも、マエストーゾな感じを少し残して『凛としたもの』を表現してもいいのかもしれません。そしたら歌い方も少し変わるかな。それは次回のお披露目に向けて、ピアニストと研究しようと思います。
次回は、10曲ほど新しく加えようと考えています。
でもこちらはほとんどネタ切れ…というか、8月のオペラ『愛の妙薬』公演でちょっと余裕が無くなってきました!!
このコンサートの次回は2年後を予定しています笑
今は
こっちに集中します❣️
乙女はいけない?(コンサート・その8)
『乙女の祈り』は宗教的であるとして、共産圏の支配下にあったポーランドでは演奏禁止になりました。
歌詞があるわけでもないし、グレゴリオ聖歌的な音楽でもないこの曲のどこが宗教的なのでしょうか…
タイトルに付けられた『乙女』がいかんのだそう。
日本人のイメージする乙女は、うら若い可憐な少女、といった感じですかね。
例えばこんな花のような…
(庭植えしていたヴィオラが、しぶとく生きてました!)
一方、ヨーロッパでは『乙女』というと『聖母マリア』のことを指します。
簡単に説明すると
(ポーランド語は分からないのでイタリア語で)
乙女の祈りをイタリア語では、
La preghiera di una vergineと言います。
祈りに当たる部分がLa preghiera
乙女に当たるのが una vergine
そう、vergine です。ヴェルジネって読みます。
英語読みしてみて。
聖母マリアは処女で受胎しました。ですので、聖母マリアのことをvergineと表現するのですかね…いや、逆かな。聖母マリアのことをVergineって言うから…?ま、言葉のことは分かりませんが、Vergineが聖母マリアを意味するのは間違いありません。
ポーランド語でのタイトルも乙女に当たる部分は、このvergineに相当する言葉が付けられているのでしょう。
そういうわけで、ちゃんと訳すと『聖母マリアの祈り』となるわけです。
ポーランドでは禁止されている間に、この曲は忘れ去られてしまいました。演奏できる世の中になったら、音楽評論家や音楽学者たちによって彼女の作品は価値のないものとしてこき下ろされました。
そういうことも加わって、日本のみ、それもピアノを習い始めて中級あたりに差し掛かった子どもたちによる演奏が主流に。日本にはそういった学者たちの『こき下ろし』は届いていたのかどうなのか。
しかしながら、音大生でレッスンに『乙女の祈り』を持っていった、という話は全く聞きません(たぶん怒られるんじゃないかしら)皆、子どもの頃に弾いて、音大時代は他にやらなければいけない曲で大変になりますから。
そういうわけで『ガラパゴス的』に残ったのかもしれません。
そうは言っても、この曲が生まれた頃は、たくさんの方に愛されたミリオンセラーだったわけです。全く価値がないとは言いきれないと思います。
聖母マリアの祈りというタイトルの曲に、アヴェ・マリアの祈りの歌詞を付ける…
思い付きで始めたことですが、こんなにしっくり来るものが出来上がるとは夢にも思いませんでした。
なかなか可愛らしい歌になりました。
そういえば、コンサートから2週間が過ぎました。お客様から報告は受けてませんし、私もピアニストもスタッフも元気なので、コロナの感染は無く、無事に乗り切ったということですね。
ありがとうございました😊
乙女の祈り(コンサート・その7)
先日、コンサートのお疲れ様ランチしてきました。ホントはガーッと飲んで…と、やりたいところでしたが…(緊急事態宣言中でアルコールの提供はどこもしてない)
さてさて。
『乙女の祈り』について。
ボンダジェフスカ…
聞いたことありませんね?
バダジェフスカ、これではどうでしょう?
乙女の祈りの作曲家です。
彼女の名前は知らずとも、メロディはどなたも耳にしたことがあると思います。(かつて川崎市ではゴミ収集車の音楽だったとか。新幹線の発着メロディになってる駅もあるそうです)
ポーランドでは彼女の名前はボンダジェフスカと読みます。日本ではバダジェフスカで知れ渡っていますから、通称でいくのがいいのかもしれません。でも名前は本人が呼ばれていた読み方で呼んであげたいと思います。
さて、そのボンダジェフスカの乙女の祈りですが、本国ポーランドではこの曲は全く知られていません。最近になって逆輸入という形でポーランドに知らされました。
日本に入ってきたのは明治時代。
西洋音楽とピアノの導入によって、数々のピアノの曲と一緒に入ってきました。
そして、曲のタイトルのイメージ、親しみやすくて可愛らしいメロディに、ピアノを習う少女たちの憧れの曲となりました。そうして、ガラパゴス的にこの曲は日本で生き残ることになりました。
一方、ポーランドでは忘れ去られていました。近年、ポーランドに留学、あるいはポーランドから日本に来た人たちによって、その存在は知られるようになりジャーナリストであるポーランド人のドロタさんにより研究がなされています。(元々、彼女とは知り合いだったんですが、まさかボンダジェフスカの研究をされてたなんて知りませんでした!)
彼女によると『全く資料は残されていない』そうで…
それでも残された文献、お墓、歴史的背景から見えてくるものもあります。
この曲が産み出された当時は、大変もてはやされたようです。楽譜も出版され、彼女の作品でない曲まで、彼女の人気にあやかって彼女の曲として出版されたものもあるとか。
もてはやされた背景には、サロン文化というものがあるようです。ブルジョワ階級の人々の集まりに女性が作曲した耳障りの良い華やかなピアノ曲…。皆がこぞって弾いたことでしょう。
残念ながら若くして亡くなりましたが、彼女のお墓には楽譜を持った少女の像があります。あの時代において、パートナーである夫の理解と応援があったのですね。そういう意味では『やっかみ』の対象になったのではないかとドロタさんは言います。
ポーランドは戦争によって苦しい時代を迎えます。
共産圏の支配下にあった時に『乙女の祈り』は演奏禁止となりました。
なぜか。
『乙女の祈り』だから、です。
この『乙女』というのが宗教的であると判断されたんですね。
『祈り』だからではないの???
ごく普通の日本人ならそう考えますね。
長くなるので、一旦ここまで。
なぜ『乙女』がいけないのか、ちょーっと考えていてくださいね!宿題!!!