ソプラノ川上真澄のオペラな生活

ソプラノ歌手の日常を。

乙女の祈り(コンサート・その7)

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先日、コンサートのお疲れ様ランチしてきました。ホントはガーッと飲んで…と、やりたいところでしたが…(緊急事態宣言中でアルコールの提供はどこもしてない)

 

さてさて。

乙女の祈り』について。

ボンダジェフスカ…

聞いたことありませんね?

バダジェフスカ、これではどうでしょう?

 

乙女の祈りの作曲家です。

彼女の名前は知らずとも、メロディはどなたも耳にしたことがあると思います。(かつて川崎市ではゴミ収集車の音楽だったとか。新幹線の発着メロディになってる駅もあるそうです)

 

ポーランドでは彼女の名前はボンダジェフスカと読みます。日本ではバダジェフスカで知れ渡っていますから、通称でいくのがいいのかもしれません。でも名前は本人が呼ばれていた読み方で呼んであげたいと思います。

 

さて、そのボンダジェフスカの乙女の祈りですが、本国ポーランドではこの曲は全く知られていません。最近になって逆輸入という形でポーランドに知らされました。

 

日本に入ってきたのは明治時代。

西洋音楽とピアノの導入によって、数々のピアノの曲と一緒に入ってきました。

そして、曲のタイトルのイメージ、親しみやすくて可愛らしいメロディに、ピアノを習う少女たちの憧れの曲となりました。そうして、ガラパゴス的にこの曲は日本で生き残ることになりました。

 

一方、ポーランドでは忘れ去られていました。近年、ポーランドに留学、あるいはポーランドから日本に来た人たちによって、その存在は知られるようになりジャーナリストであるポーランド人のドロタさんにより研究がなされています。(元々、彼女とは知り合いだったんですが、まさかボンダジェフスカの研究をされてたなんて知りませんでした!)

 

彼女によると『全く資料は残されていない』そうで…

それでも残された文献、お墓、歴史的背景から見えてくるものもあります。

 

この曲が産み出された当時は、大変もてはやされたようです。楽譜も出版され、彼女の作品でない曲まで、彼女の人気にあやかって彼女の曲として出版されたものもあるとか。

もてはやされた背景には、サロン文化というものがあるようです。ブルジョワ階級の人々の集まりに女性が作曲した耳障りの良い華やかなピアノ曲…。皆がこぞって弾いたことでしょう。

残念ながら若くして亡くなりましたが、彼女のお墓には楽譜を持った少女の像があります。あの時代において、パートナーである夫の理解と応援があったのですね。そういう意味では『やっかみ』の対象になったのではないかとドロタさんは言います。

 

ポーランドは戦争によって苦しい時代を迎えます。

共産圏の支配下にあった時に『乙女の祈り』は演奏禁止となりました。

 

なぜか。

乙女の祈り』だから、です。

 

この『乙女』というのが宗教的であると判断されたんですね。

『祈り』だからではないの???

ごく普通の日本人ならそう考えますね。

 

長くなるので、一旦ここまで。

 

なぜ『乙女』がいけないのか、ちょーっと考えていてくださいね!宿題!!!