ソプラノ川上真澄のオペラな生活

ソプラノ歌手の日常を。

プロデューサー目線なのかも

ちょいと遣る瀬無い気持ちになることが続きまして。今日は(今日も?)辛口です。

 

オペラの他には、数人の歌い手さんとご一緒することもよくありますし、歌い手が数人出演するコンサートを聴くことも多ございます。

 

オペラ以外の演奏で数人で歌うとなると、何声かにパートは分かれるわけです。いつも旋律を歌っていても下の音を担当したりして場合によっては目立つようなメロディではなかったりすることも。

で、そのようなコンサートで、お客さんの立場で見ていますとね(歌っていてもそうですが)それぞれがどんな心持ちで歌っているかよく判るんですよ。

 

つまんなさそうに、私、言われたからここで歌ってます、みたいな態度の人もいるわけです。そう思ってないかもしれませんが表情が暗かったりして、そんな風に見えてしまうのです。そういう時に受け取る印象って「ホントは私、ここでアンサンブル歌うようなチンケな実力じゃございませんのよ」的に見えてしまうんですね。

 

『フリ』でもいいから楽しんでる様子をお客様に見せたらいいのに、と思うのですよ。わざわざチケット買って時間を作って出掛けてきて、そんなの見せられたらたまりません。「お前の『思い』はここではいらん」と思うのです。

普段、仏頂面の私が舞台に出たらニコニコしてるのを母が見て「いつもあんな風に笑顔でいればいいのに」と言ったことがありました。普段の仏頂面は舞台の上ではご法度です。

 

でも、普通にそういう人もいるんですね。そうすると「この人は絶対に使いたくない」なんて思ってしまうんですよ。プロデューサー目線になります。自分で企画して奏者をお願いしてギャラをお支払いしてるので、やはり演奏者としての責任は果たして欲しいと思うわけです。

お客様には何かを持ち帰って頂きたい。演奏する側が『お客さん』ではいけないのです。

 

お客様が望んでいる歌って何でしょう?

私たちはよく発声のことを気にするんですけどね、確かに正しい発声で歌うことは大切なんですが、いざお客様の前に出たら発声云々はひとまず置いておかないといけないと思います。発声を気にするあまり、お客様に楽しんで頂くことや、表現がおざなりになる人がいるんです。

 

そういう人を見ると「お前の発声なんか誰も聞きたくないんだよ」と言いたくなります。そういうことは、おうちでやってきてください、と思うのです。

おそらくね、こういう方は人様に楽しんで頂きたいとは考えてないんでしょうね。じゃ何のために演奏してるんだろう???

 

随分昔にご一緒した方で

「私はチケット売りたくない、お客さんは呼ばなくていい」

と宣った人がおりまして、何のために音楽を仕事にしてるんだろう?と思ったことがありました。いや、この人、音楽を仕事にはしてないんでしょうね。人に聞かせたくない音楽を奏でる人は演奏家とは言わないですよね。

 

脱線しました。

 

そもそも正しい発声って何でしょうね。

表現したいことをお客様に伝えるための手段、そして結果だと私は思っています。

心を歌に乗せようと表現したら、結果として、私たちがよく言ってる『ベルカント』の発声になってしまっていた、といった感じです。もちろん、ちゃんと教わらないとこの『ベルカント』の発声は出来ませんから、それは良い先生に師事して訓練するんですけど、あくまでも『表現するための手段』なんです。

 

中には発声はいいのに心を打たない歌もあります。感心はするけど感動しないんです。お客様は感心したくて演奏を聴いてくださるんですかね?

その逆もあり、発声に難があるんだけど感動しちゃうってのもあります。

これらは、それでもまだ許せるんですが、どっちも無いというのが一番腹が立ちます。

 

まずは正しい発声で歌わないと表現してはいけないと思ってる方がいますが、それでは発想が逆だし、手段を目的化してどうするんでしょう。表現したい『思い』や『心』が無いのに、何が正しい発声なんだと。だったら機械か何かに歌わせた方がよっぽど音程もリズムもきっちりしてていいんじゃないかしらね。

 

あまりにその『正しい発声方法』にとらわれすぎて、音程が悪くなる人もいるんです。それで音痴になるんなら、もはやそれは『正しい発声』では無いんですよ。しかも『表現したい何か』も無い歌ならば素人以下。何のために歌っているんでしょうね。そういう人は根本から考え直すか歌い手辞めるかしないと。当然、こういう人ともご一緒したくはないですね。一緒に歌っていても、ものすごい孤独感があるんです。一人で歌うより孤独を感じるって、相当ですよ。

 

自分はそうならないようにするのは当然のこととして、後進の指導にあたるときは心を歌に乗せるということを伝えていかねばと思った次第です。