録音する派?しない派?
ソプラノ歌手・川上真澄です。
レッスンや稽古を録音、録画することがあります。で、撮っても見ない・聞かないこともあります。
市民オペラの団員さんで、とても熱心な方がいます。稽古を録音して次の稽古までに繰り返し聞いてくるそうです。録音して聞くことで、自宅で稽古をもう一度繰り返す感じなのだそうです。
偉い!ここまでやれる人はなかなかいないと思います。
で、私は録音しても聞かないことがあります。この団員さんとは録音する目的が違うからです。
私の場合、自分がどういう声を出していたか、どういう表現になっていたか、外からの確認のため聞きます(見ます)。自分の声や姿は、究極的には自分では聞けない(見られない)からです。
レッスン録音は先生によっては禁ずる方もいます。録音に頼らずレッスンの中で消化しなさい、ということなのでしょう。それはよく分かります。
長年、録音してきて思ったことは、レッスンや稽古で合点がいったこと、納得して出来た過程などって、録音録画機器には入らないということ。
レッスンや稽古では、先生の『神通力』を感じることがあります。これは機械に入らないのです。先生が教えたいこと、稽古参加者が一体となって高みに向かった瞬間、ああこういうことかと合点がいった瞬間…などなど、そういった時って、機器には入らない力が働いています。なんだか宗教臭く胡散臭い感じがしてきましたが、体験した人なら分かると思います。なので、後から機器を通して聞いても(見ても)「あれ?」と肩透かしを食らったような感じで、なんだっけ?となってしまうんです。
実際に地方であるオペラに出演した時のこと。なかなか指揮の先生が来られないからと地元の方が稽古を録画されていました。その時の稽古の素晴らしかったこと。いつもと変わらない稽古ですが、その時の私にはタイムリーで、神通力を感じる稽古でした。肌で感じ、耳で感じ、見て感じて、楽譜にも書き留められるだけ書き留めて…
でも、書き留めようにも、どうしても言葉にならない箇所があったんです。そこで録画されていたのをお借りして確認することにしました。
そしたら、その箇所。
「○▼*%〆☆$なんだよ!」
え?
その聞き取れなかったところが知りたいんだけど。
「○▼*%〆☆$なんだよ!」
何度聞いても
○▼*%〆☆$
確かにその部分なんです。私が心動かされたところって。
機器の性能が…とかいう話ではなく、指揮の先生の神通力が働いた瞬間だったんだと思います。先生の思いが強く伝わったところだったんです。
この指揮の先生は、日本のオペラ界を代表する素晴らしい神通力をお持ちの方です。
レッスンでもそうです。
いつもと同じことを言われてるのに、なぜかその日に限って心に留まって合点がいったり。
そういう自分の中の変化って、機器には入らないと思ってます。もちろん、声の変化は入ってますからその確認は必要。
変化に至った自分の中の何かは入ってないので、その至った経緯は自分で思い起こすしかありません。
団員さんには『稽古録音』は勧めてはいません。だからといって録音はしてはいけないとも思ってません。録音して聞くのはメリットもたくさんあります。
けれども、前述の団員さんのように目的を持って聞かなければ意味が無いです。
目的意識もなくボーっと聞くのなら、良い演奏のものを一日中流しておいた方がいいです。
また、聞いて暗譜に役立てたいのなら、良い演奏を聞いた方がいい。未熟な演奏を何度も聞いて、よろしくないイメージを自分の身体に染み渡らせる必要は無いのですよ。間違ったイメージを自分に刷り込まなくていいんです。
でも、言葉だって間違ってないし、音だって間違ってない、だったら稽古の録音を繰り返し聞いて暗譜に役立ててもいいじゃないかと言われそうですが、ここで何より問題なのは『音が低い』状態。これは自覚の無い方が多いです。
『音が低い』つまり、ピッチが低い状態のことです。その音にはかろうじて到達してるんです。が、低いんです。Hzなんですかね、周波数なんですかね。とにかく微妙に低いんですよ。これは発声の問題もありますが、自分の中の音のイメージの問題でもあります。表現の中で低くなる場合もありますし、色々です。
ですから繰り返し聞くのなら、良い演奏のものを聞いて良い音のイメージを持つようにした方がいい。何がいい演奏なのか、自分の歌ってるものばかり聞いていても身に付かないだろうと思われます。もちろん、CDやDVDだけでなく、他の方の演奏を聴きに行くのも必要です。
私がこのように考えるようになったのは、長年、録音してきたから。なので、結局は行動してみないと答えは導き出せないと思っています。
レッスンは後から聞き返したいと思うこともあるので、とりあえず録音しておくというのがいいでしょうね。有効に活用できない、そんな時間は無いのならば、聞かずにいるのも有りなんですから。