ソプラノ川上真澄のオペラな生活

ソプラノ歌手の日常を。

無料で頼まれる側は傷付いています

ソプラノ歌手・川上真澄です。

前のブログで反響の大きかった記事をこちらにアップしています。

この記事は『演奏に代金は払いたくないのか』の続編で2015年に書いたものです。

 


《絵や音楽、自分の持っている技術を無料でお願いされてしまう方に》

『無料で演奏をお願いされるうちは、その程度なんです』と言う方がいます。
『無料で頼んじゃいけないと思われるようにならなきゃ、まだまだ』というご意見です。

確かに、そういう側面もあるでしょう。全部ではないですが。私もそうだなぁと思っていました。


無料で頼まれてしまうということは、自分側の問題なのだと悩んでしまいますよね。真摯に向かっていたら多かれ少なかれ悩むと思います。

 

先日、ある絵描きさんからメッセージを頂きました。無料で絵を描いてと頼まれることがあったそうです。仕事としてやってらっしゃるので、それはもちろん困るわけです。


『無料で頼まれることで仕事への意欲ばかりでなく、自分への才能の誇り、自己肯定感まで損なってしまった』とありました。


そうですよ。ホントにそう。
無料でお願いされる側は傷ついているのですよ。タダでクレクレと言える方には解らないでしょうけど。


で、この方の作品をブログの画像で拝見いたしました。
ため息が出ました。美しい。

タブレットで見ただけで実際に生で見たわけではないのですが、とても美しくて、そして愛しい感情が沸き上がってきます。
実際に目の前に広がっていたらどんなだろう…。見てみたい。

語彙が少なくて何て表現したらいいのか解らないのですけど、初めて見た時は、私の体中の血がすごい勢いで走りました。

 

こういう絵を描かれる人の作品を、無料でくださいとはどういうことでしょう?信じられません。

気に入ったから欲しいんですよね?
なのに無料で?どうして?

私にはない考え方なので、よく分かりませんが
あわよくばタダで手に入れようという考えなんですね。


無料でお願いされるうちは…なんて考えてしまってましたが、こちら側の問題?そんなことは無い!無い!全く無いですよ。

私の実力不足…なんてシュンとしてた方、落ち込む必要はございません。無料でお願いするやつのモラルの問題です。人間性の問題。

 

ある商業施設で、ゲリラ演奏した時のこと。
私が歌い終わった時、涙してる方がいらっしゃったんです。この方は、たまたま通りかかっただけで、私の歌を聴くためにいらした方ではありませんでした。その方の心の琴線に触れたんでしょう、感動してくださったんです。

その時ですよ。

感動して泣いてた方とは別の方が「うちの施設に無料で歌いに来て」そう言ってきたのです。


その人、他の人にも無料で演奏させてるって言ってたので、あわよくばって声を掛けてきたのでしょう。何人無料で演奏させたか、脳内スタンプラリーに判子押せるかなって思ったのかもね!!


無料でお願いされるような演奏をしたとは思ってませんが「この人にとっては無料レベルの演奏だったんじゃないの?だから無料でと言ってきたのよ」と言われるならば、そんなものを施設に入ってる人に聞かせようとしたんですよね?

『まだまだな演奏』だったと言うならば、その『まだまだ』を施設の人に聞かせようとしたのですよね?

自分のためではないし、この程度でいいという考えは、他の人に出す食事に関しても、例え悪い物が入っていようとも適当でいいという考え方と似ていると思います。この方の施設では、そういうものを入居者に提供しているのでしょうか?


多くの方が足を止めて聴いてくださり、涙を流して聴いてくださった方があり、お客様からの手応えを充分感じた演奏でした。

この絵描きさんも「自分を認めてくださる方の意見でなく、価値を見い出せない人の反応に耳を傾けてしまった」ことを悔やんでおられました。

本当にそうですね。
この方の絵を見て、私の問題…なんて考えるのは止めました。

こういう方々は、真摯に向き合ってる人間の弱さにつけ込んで、自分のいいように利用しようとしているだけなのです。だから、必要以上に卑下することはないのですよ。もちろん、あぐらをかくのはダメです。真摯に音楽に向かいたいと思います。


そうそう、私が魅了された絵ってどんな絵なんだ?って気になりますよね。

色々と飛び火してしまったらご迷惑になりますので、内緒にしておきます。

なんたって、その方の文章と絵から、とっても繊細な方とお見受けしましたので、飛び火でもしたら倒れられるかもしれません。

そういうわけで、ごめんなさい。


落ち込んでた方に、少しでも元気になって頂けたら幸いです。