受け止めてよ!
ただ何となく歌ってる…んですよ、皆さん。
言っちゃあ悪いけど、そうなんですよ。
クリスマスのミサは、聖歌隊に混じってソロ部分を歌わせて貰ってます。もう何年目だろうね。
で、私が数小節歌って合唱が引き継ぐところがあるんですけど、歌っててなんか虚しいんです。淋しいんです。つまらないんです。
ほらぁ、これを引き継いで!ってバトンタッチするように歌ってるのに、受け止めてくれない。
しかも私が同じ言葉を2回繰り返して更に合唱がそれを引き継いで3回目を歌うという箇所。どうしてノーリアクションで歌えるのだろう…
で、とうとう言っちゃいました。私、淋しいよって。
皆さんハッと気付かれた様子。それでやったら凄く生きた歌になりました。そうやって歌うとお腹の中が燃えたような感覚があるんです。
ボーっと歌っちゃいけませんね。
ボーっと歌っているわけではないけれど、4月に歌った「ミミ」は忘却の彼方です。私ホントに歌ったんだよね?
ミミからすぐに、愛妙のアディーナにシフトチェンジしたせいもあるのかもしれないけど、それにしても忘れるの早いです。
今度も相手役はモッチー。(チラシの二人は私たち)
ロザリンデの旦那役アイゼンシュタインから、ミカエラとホセ、ミミとロドルフォ、そしてアディーナとネモリーノ。
どれがしっくり来たかって、ロザリンデとアイゼンです。知り合って長いからね!ちゃんと受け止められるように頑張ります。
見学NGなんです
合唱団の活動とかサークル活動とか、大体のところが見学OKにしてると思います。どちらの団体も新規会員さんが増えるのは喜ばしいことですものね。
ところが、ですよ。
稲城市民オペラは見学はお断りしております。
これまでは見学OKにしてたんです。ソリスト稽古も要望があれば、という感じで。
ただこれは、やはりソリストさんには不評でした。見せてもいい稽古もあるのですが、一番苦しい時に見学されると稽古にならないのです。
私自身、学生時代に某歌劇団の稽古を見学させて頂いたという何とも恵まれた環境に居たので、後に続く人には…という思いがあったのです。
私がその時に見学出来たのは、稽古の中でも「見学をしてもいい」という時期だったのかもしれません。
当時、目を掛けてくださってた先生が出演されてたオペラで、たまたま通り掛かった私に「お!真澄、見学していくか?」なんて軽〜く声を掛けてくださって。しかもその演目が蝶々夫人だったのでビービー泣きながら見学させて頂いて…主演のソプラノの方に「泣いちゃったの?」なんて言われて「飴舐める?」と飴を頂いたりして…
そしてイタリア滞在中には、自分のレッスンそっちのけで(偶然にもまた)蝶々夫人を歌うというソプラノに1ヶ月付きっきりで稽古を見学。
久々に行ったレッスンでは「あなた1ヶ月もレッスンに来なかったのに、どうして急に上手くなったの?」と。
私の場合、良い歌手の側にいる、というのが一番のレッスンだったみたいです。
それがなぜ、稲城市民オペラでは見学NGかと言うと、一番には団員、ソリストを守るため。より良い本番を迎えるためです。
なぜなら【稽古場とは恥をかくところ】だから。
作品に取り組み始めた頃はたくさん間違えます。そうやって覚えたり、より良い演奏が出来るようになっていきます。
出演しない誰かが見ているとなると、それはお客様がいるのと同じこと。誰しも恥をかいているところを見られたくはありません。誰かがいると恥をかきにくくなります。恥をかいて上達していくんです。良い公演にするためにも避けては通れない道です。
稲城市民オペラでは、稽古場で思いっきり恥をかいて、本番ではいいものをお見せしようと頑張っているのです。
そういうわけで見学はNGなのですが、体験参加はOKとしています。一緒に恥をかいて貰うのはOKなんです。
なのに、ですよ。
今回、見学OKの日を設定したんです。
それも2回も!!!
日本を代表する指揮者と演出家の稽古。
それが無料なんですから、これは必見です!!
みんなで歌う
夏のことなんですが、母のお供で、ある方のコンサートに行ってきました。私が物心つく頃にはご活躍されてた方の。
来てる人は母くらいの年代の方が多くて中には小学生くらいの男の子とか。男性もいましたし、ファン層の幅広かったこと。
クラシック以外のコンサートは滅多に行きません。初めてです。
あの大音量…びっくりしました。耳が壊れるかと思いました。あれ、難聴にならないんですかね?不思議です。照明の演出もピカピカ、ビカビカして最初から圧倒されまくり。
そして何より、みんな立つ…
え?見えないんだけど。しょうがないから私も立つ。
そしてビックリ、みんな踊る。
え?え?振り付けがあるの???
しばらく突っ立ったままでいましたけど、それじゃ面白くない。見様見真似で私も踊りましたわよ。
コンサートというと「音楽を聴く」ものと思ってましたが、音楽を聴くというより「リズムに乗って身体を動かす」「目と耳に激しい刺激を与える」そういうもののようです。音楽的にどうこうとか、そういったものは皆さん求めてないのね。
よく、歌謡曲の歌手で「誰それは下手」なんてことを聞きますけど、上手い下手を求めちゃいかんのではないでしょうかね。音楽的に上手なものは歌謡曲に求めちゃいかんでしょ。あれは味わいを楽しんだり「人そのもの」を楽しむものですよね。
クラシックの人間は音楽的にどうだこうだと突き詰めて、オペラに至ってはそこに演技などの要素も加わって、お客様はそれを楽しむ受け手側になるんですが、
そうねぇ…「音楽的な面白さ」って、育んでいかないと分からないんですよね。そこが「とっつきにくい」「高尚である」なんて思われるんでしょうね。
でも、何でもそうですよね。ある程度のお勉強は必要というか。ま、勉強とは思ってないし、勉強じゃあ無いんですけどね。スマホ扱うにしても、やり方を知らなきゃ楽しめないわけでして。
確かに刺激の強いものの方が、簡単に楽しめるんですが簡単じゃないものにも面白さはある。
もちろん、クラシック以外のものがよろしくないと言ってるのではなく、そればっかりになってもつまらないだろうな、と思うのです。今は色々楽しめていいですね。
先日、友人が主催している「歌声喫茶」に行ってきました。ご年配の方が集まる会で、皆さん楽しそうでした。こんな素敵な活動をしている友人を誇りに思います。
みんなで歌うって、楽しいんですよね。私たち夫婦が主宰している稲城市民オペラも合唱は素人さんたちですが、これもホントに楽しそうです。ただ、簡単に歌えるものではないので、歌えるようになるまでが大変。
「歌声喫茶」のように気軽に誰でも歌えるようなものも必要と思うし、ちょっとハードルはあるけど、というものもいいと思う。
それを「難しいから」と敬遠されるのは残念だなぁ。
正しい呑兵衛
今年のボジョレーヌーボーは、いつものように近所の酒屋さんにお願いしたヌーボー。(銘柄?んなもん忘れました)とっくに飲んでしまいました。
今年は「いなぎボジョレー音楽祭」なるものを企画したので、そこに近所の酒屋さんが樽のヌーボーを用意してくれましてね、こんな嬉しいことはないと喜んでいたんですよ。
で、よくよく考えたら、うちから電子ピアノだ何だって、色々荷物がある。車で行かなきゃいけないじゃない?ということは飲めない!ということが判明して、ガッカリしたのは言うまでもありません。
樽のヌーボー飲むために、運転手として愛知から弟を呼び寄せようかと考えたくらいよ。
でも、高速代だのガソリン代だの考えたら割に合わないので諦めました。
ボジョレー音楽祭は生憎の雨で。
それでも予想を反する数のお客様が来てくださって、出店してくれたお店の方々から「黒字になりました!」「完売しました!」の声。これが晴れてたらどうなったんだろう…。雨女であるのが悔やまれます。
ところが樽のヌーボーは余ってしまったんですって。この情報、この私が逃すわけないよね。
帰宅してすぐに酒屋さんにGO‼️もちろん歩いて行きましたわよ。途中のコンビニで、つまみを買うのも忘れませんでしたわよ。
酒屋さんに着いたら、お店のおばあちゃんが空になったペットボトルを洗って待っててくれました。そのボトルに余ったヌーボーを入れてあげるって。持ち帰りなさい、ですって。
とっても嬉しいプレゼントなんですけどね、
いやいや、そうじゃなくてね、
「今、飲みたい。つまみも買ってきた」
で、カップについで貰ってレジ前で。
角打ちって言うんですね。(知らなかった)
樽から出たばかりのヌーボーを、他の容器に入れて持ち帰っても新鮮味がなくなるというか。
樽から出たんなら、やっぱりそこは、すぐに飲みたいじゃない?
こういう輩が「角打ち」を始めたらしいですぜ…
ソプラノの我儘のせいじゃないのね!
オペラ「愛の妙薬」の稽古に入っています。
先日の合唱団の稽古では副指揮の方による楽曲アナリーゼでした。
マエストロ稽古で「ドミナントだから」とかいう言葉が飛び出し、団員さん一同、ポカーンだったんです。そりゃそうでしょう。音大でも行かなきゃ聞かない言葉だと思います。私も久しぶりに耳にして苦痛だった、いや、チンプンカンプンだった和声の授業を思い出しました。で、マエストロの稽古を無駄にしないためにも講義の時間を。
ソリスト4人と合唱で歌う箇所で、どうしても、どうーしても、私、ブレスをしなきゃ持たないというところがあるんです。
そこは息をたくさん使って歌い、苦しくなってきたところで更にもっと息を使いたくなる音形なのです。私と違う音形の皆さんは吸わずに行けるだろうけど私は吸わなきゃ死にそうよ?という箇所。
皆さんに合わせてコントロールすればいいんだろうし、実際それは可能だけど、コントロールすることに特化した歌い方になったら「クソつまんねー」ってところ。トリルしながら音を駆け上がって行くところですよ。
いつだったかの稽古でも「ここはアディーナがブレスを取るので、皆さん待ってください」と言われていたし。
私の我儘で待たせるのか…
なんて思ってましたけど、
「ここはブレスを取るようにドニゼッティが書いている」んだそうです。
ええ、私、感覚でブレスしてましたけど、ドニゼッティに操られていたんです。
あ、よく見たらネモリーノも同じ音形でしたね。(ブレスした後、アディーナは細かい音符が続くので更に支えが必要ですが)
オペラの中での「当たり前」を、楽曲分析という形で解説されると安心します。歌い手は(というか私は)感覚で歌ってしまう部分が多いので…
公演は2020年5月5、6日です。
私は6日に歌います。