ソプラノ川上真澄のオペラな生活

ソプラノ歌手の日常を。

贅沢品…

所属教会の建て替えのために、色々と話し合いがなされているのですが、その中でオルガンの良いものを取り入れたいという要望があったそうなのです。

 

今のオルガンはかなり古いもので、時々ご機嫌斜めになってミサ中に音が鳴らなくなったり…

ピッチ(ヘルツ)も低いので弦楽器の方に嫌がられ、教会コンサートの時はオルガンと一緒に演奏することは憚られ…

 

なんていう感じで修理してもあまり変わらずという代物なので、オルガン奏者にしてみれば教会が新しくなるんだからオルガンも、も少しマシな物にしてくれい!というのが本音。

 

でもね、建て替えでかなりな額が必要なんですよ。あまり余計な物にお金が掛けられないのも実情。

 

良いもの…贅沢品の部類に入りますかねぇ…

 

確かにね。

 

そうなんだけど、なんかモヤモヤする。

 

 

ミサにおける歌は必要なものです。つまりそれを支えるオルガンは必須。

なのにミサ中に止まるオルガンなんて、まず有り得ない。職務放棄するオルガンを飼っておく必要はないわけで。

歌わないミサが主流であるのならオルガンは贅沢品でしょうけど、そうではないのだから必需品。

贅沢品と言ったのは「鳴れば良い」という考えなんでしょうね。そうなんだけどね、うーん、何というか。

食事するのに陶器の皿はいらない、紙でいいよと言われてるような気分。

 

あるところで目にしたんですが、歌うという行為は

「見えないものに語りかける、繋がる」ものなんだそう。

 

なのでね、歌うということは(見えない)神様と繋がることなんでしょうね。

しかも信徒全員で歌うんです。

これほど信仰を表すのに素晴らしいものはないですよね。

 

そうするとね、その歌を支えるオルガンは重要なアイテム。

心を合わせて良いハーモニーで賛美するんです。音が狂ったようなオルガンで良いハーモニーが生まれ…るとは…ちょっと考え難い。

 

良いオルガンであれば、奏者も張り切りますし、あわよくば奏者が増えるかもしれないし、良い音が鳴れば歌う方も気持ちが良いし、色んなことが相乗効果となって、伝染して良い方向に行くように思うんですよね。

 

なんだか分からないけど、この教会に来るのいいなぁ❤️なんて思ったら人が集まるような気もするし。

でも、そういうの数値化できないから「気のせい」「気の持ちよう」で済まされてしまいます。ちょっとしたことで皆んなが気持ちよく信仰の心を持ち続けられるのなら、贅沢品なんて言ってないで良いものにすればいいのにと思います。

 

その時は高く思うかもしれないけれど、たくさんの人に“良い音”を提供して、心を一つに歌うために働いてくれるんなら、ちっとも高いものじゃないと思うのですよ。

 

そういえば、聖アウグスティヌス

「歌うことは倍祈ること」

と言ったそうです。

 

良いオルガンに支えて貰って、たくさん歌って祈りましょ😇