ソプラノ川上真澄のオペラな生活

ソプラノ歌手の日常を。

無くならないわけ

イタリアの泥棒が無くならないわけ。

 

先日、カンドゥッチ神父様の話を聞いていて、こりゃイタリアで泥棒が多いのも頷ける!と思ったんです。

 

この日は四旬節に入ったばかりでイエス様が40日間の断食に入られたことと、悪魔の誘惑に勝った話でした。その悪魔の誘惑の話から派生して、

 

神父様が子どもの頃は戦時中で食べる物があまりなく、ひもじい思いをしていたそうなのです。そんな時に侍者のご奉仕。目の前にはホスチア(ご聖体)という名のパン!

すかさず食べてしまったそうですよ。

で『大した罪ではない』って!!笑

 

悪魔の誘惑の話では、神様を試すことはしてはならないとの教えです。そんなことから考えたら生きるために働いた盗みは大したものではない。

ま、ちょっと誤解がありそうな表現ですけど、そういえばイタリアの人たちって『盗られる方が悪い』という考え方がありますよね。もちろん盗む方が悪いんですが、盗られないように自己責任で、という意識はかなり強いです。

 

イタリアで泥棒と言えばジプシー(ロマ)なんですが、この人たちが物乞いをしていたら、なぜか施したりして優しいんですよね。

 

こうやって文章にしてしまうと、無茶苦茶なことを言ってるみたいなんですが、イタリア人神父様の話を聞いていて妙に納得してしまいました。

って、イタリアで未遂はあっても、一度も被害に遭ってないので言えることなのかもしれないんですけどね。

 

そうやって考えると、贅沢するための盗みは罪が重いように感じます。未遂に終わったという私のバッグに手を掛けてきた男の人は、身なりも良く、盗まずとも食べていける風貌の人でした。