パステル画
先週の土曜日から昨日まで、1週間の間に4日も飲みに出ているソプラノ歌手・川上真澄です。
遊び惚けているわけではありません!!飲んでいるのは、訳がありまして…
打ち合わせ(?)が2本、公式なレセプションが1本、恩師のお祝いもあって飲んでます!!
お酒好きで良かった❤️
というわけで怒涛の10日間を過ごしている最中です。
さて、この怒涛の10日間の初っ端は、娘と二人でパステル画のワークショップに出掛けてきました。
昨年、教会で演奏した時のチラシです。
このパステル画を描かれた船越 哲也さんのワークショップでした。
高円寺の駅から少し歩いたところにある『ムッチーズカフェ』さんで開催でした。うちからは少し遠いのですが、ちょっと遠出しても出掛ける価値はありました。
開催されたお店には、絵本がたくさん置いてあって懐かしいものばかり。子どもたちに読み聞かせた本が山のようにありました。
娘も懐かしかったようで「何だっけ?この本、読んだよね?」って。ちゃんとは覚えてない様子でしたが、心のどこかに引っかかっているんですね。
描き終えて、船越さんと。
パステルを使ったのは初めてでした。指で馴染ませていく作業が無心になれて楽しかったです。
で、ふと隣を見ると
あーら、娘ってば、やっぱり上手!!!
色の選び方、馴染ませ方、構図とか、とにかく色々プロっぽいというか。
私は色はあるだけ全部使いたくなっちゃうんです。
なんでしょうね、性格って出ますよね。
放っておいたのに!
バラ好きには素敵な季節を迎えました。
今年こそは、この5月を楽しむために冬の間に手入れをしようと思っていたのです。
ですが…出来るはずもありませんでしたね。オペラに掛かりっきりでした。なのに、咲いてます。今、咲いているのは新雪やピエール、サハラ、レイニーブルーなど。
昨年の冬にお迎えしたシティオブヨーク。お初です。花弁が少ないのも趣きがあって美しい。隣に植えたフランソワジュランビルも、このシティオブヨークも蕾が山ほど付いてますので、これからが楽しみ。
それにしても、誘引も剪定もしてません。肥料だってあげてません。なのでアーチはこんなで通れなくなりましたし、
なんかすごい形の樹形になってるし。
昨年のゴールデンウィークから手を付けたレンガ敷き、未だに終わってません!
完成までは遠いですが、今年はお友達をたくさん呼んでバーベキューをしたいので頑張って貰おうっと!(私が敷くわけではない!!)
キリストを覆っていた布の花
ゴールデンウィークの始まりは教会で、終わる日も教会でした。
やっと時間が出来たと思ったら毎日のように教会に出掛けていて、息子に「天国が近くなった?」と言われてます。
で、ゴールデンウィークの最後の日はチマッティ神父様月命日のミサへ。
チマッティ神父様は50年くらい前に調布で亡くなったイタリア人神父様で尊者です。今は列福運動中。福者となられた後は聖人へ、という流れになります。
日本で最初の日本語によるオペラ《細川ガラシア》を作曲されてます。(3年ほど前に上演した際、私は巡礼の娘役で、私の娘はガラシアの娘役で出演しました)
さて。
チマッティ資料館を取り仕切るコンプリ神父様が入院されたということで心配していたのですが、とっくに退院されてて、相変わらず元気なご様子でした!!(心配して損した!!)
コンプリ神父様は、聖骸布の研究者でもあり、時々遊びに行くと聖骸布のレクチャーが始まります。で、3月にお会いした時も聖骸布について「本を読め!」「勉強しろ!」とお叱りを受けてまして…
ちょうど、この季節はイエス様が磔刑されて降ろされた時に身体を包んでいたという亜麻布の材料になる亜麻の花が満開ということで、見せて頂きました。
素敵な青。
「関東にはここにしか咲いてないよ」なんて言ってましたけど、そんなことは無いと思う。笑
この花はキアラ神父様の墓碑の側に植えられてました。
キアラ神父様は『沈黙』のモデルになったイタリア人神父様です。小石川から骨が出てきて、いつだったか大騒ぎしてましたね。ちょうどその知らせを受けた時も私はコンプリ神父様と一緒に居て、興奮している神父様に付き合ってました!笑
チマッティ月命日ミサの次の日は、所属教会へロザリオの祈り。
こんなに素敵なロザリオを2本も持ってるのに、ロザリオを持って行くのを忘れたという…何をしに行ったんだ?
一緒にお祈りをする人に借りました。私もそうですが皆さんロザリオって、2本も3本も持ってるんです。
ロザリオの球を1つ1つ辿りながらお祈りしていくんです。なので、ロザリオが無いことには祈りをするのに不便。所用時間は一周で約30分くらいです。
右の白いロザリオは、ローマ法皇に祝別して頂いたものをファエンツァ(イタリア)の司教様からコンプリ神父様に渡り、コンプリ神父様から頂いたものです。
赤い方は、20代の頃にバチカンへ行った時に購入したもの。どちらも大切。
素敵な方
この前、選挙があったのでね、ご近所の付き合いもあって応援に行ってきたんです。
そうしたら、選挙に出てる人だけでなく、◯◯党の議員さんとかも応援にいらっしゃるでしょ。
そういう方からコンサートに祝電を頂いたりしてるので、ご挨拶したんです。まあ、祝電を送ってるのは秘書さんだとは思いますし、私のことは覚えていらっしゃらないとは思うのだけど、それでも嫌な顔をせず
「地域の芸術文化のために、いつもありがとうございます」って返してくださったんですね。
その態度がとても優しくて、暖かくて。
その後、離れたところに座っていたんですが、その方がいらっしゃる空間は華やいでて、場が和んで、何とも言えない素敵な空間でした。
帰られる時は一人一人に挨拶をして握手をして、気配りの出来る方なんだと、これまた感動。
政治家さんって、嫌な顔をされてる方が多いように子どもの時から思ってましたけど、この方は違う。
やっぱり素敵な人を応援したいですね。
値上げするんじゃなかった!!
毎年4月29日は、所属している教会でバザーです。
末の娘が小学校を卒業したので、私にとっては初めて日曜学校は関係の無いバザーになりました。毎年、日曜学校のブースで他のお母さん方と交代でお店を出していたのですが今年は中高生のブースに居て、ということで行ったんですが大してやること無し。
中高生で楽しくやっているのを大人が邪魔するのもなぁっていう感じでした。
私と娘を送ってゆっくりするつもりだった旦那ちゃんは、そのままヨセフ会(男性の会)の年配の人たちに引っ張られ大忙しとなりました。来年はちゃんとエプロンを用意してあげよう。
暇になった私は、他のブースをぶらぶらと。陶器に目がないですから、あまり見たくないのです。買ってしまうので…
そしたら、有田焼と思われるお皿が、めちゃめちゃ安い値段が付いていてビックリ!
思わず「これ安すぎるよ!」と倍以上の値段を付けさせました。
で、また同じブースに行ったら売れ残ってるんです。
そのお皿には何を載せようか無意識に考えている私…
あれれ。こうなったらもうダメです。買わないで帰ったら後悔します。
というわけで、お迎えしてしまいました。
で、そこで気付いた私。
最初に付いていた値段の時に買えば良かった!!!
普段お世話になってる教会に寄付したということで…
それにしてもアホだぁ。
合ってるけど、入って来なかったのよ。
今回、ミミを歌い終えて感じたことは
「歌った気がしない」
ということ。
私、ちゃんと歌ってましたっけ?
ロドルフォやマルチェッロ役に比べると少ないかもしれないけど1幕から4幕まで全幕に出ているので、出番としては多い方。
なんで歌った気がしないのだろう?と思ったらアクートが1箇所だけなんだよねぇ。
1幕の一番最後の音がそう。袖に引っ込んだところで歌うCの音。
今回、一番怖かったのは1幕の出。
一番最初の「Scusi」
なんてことない高さなのに、なかなかハマらない。その後に続く「di grazia …」も、なかなかリズムに乗れなくて、何度もコレペティ稽古したけど、お前バカか?というほど入って来ない。
そういう時は何か理由があって、その理由を見つけられたら克服できるのに、理由も分からない。
しょうがないから、覚えるまでバカ正直に間違いを繰り返して叩き込むしかない。相手役にもご迷惑をお掛けしました。
発声上、難儀したのは3幕のある部分。アクート下の音。
これは一人で練習してる時にドツボにはまってしまったので、稽古場に行くと何とかなるだろうと思っていたけれど…
難儀した理由は高音に充てがわれている母音のせい。後から出てくる同じ音でも母音が違えば難なく歌えてるのに。そうなんだけど、理由はどうもそればかりでもなかったみたい。
1幕ミミのアリアも、歌った感じがしないのよねぇ…
3幕のアリアも。
それより3幕の別れの四重唱、前日のゲネプロでも、めちゃめちゃに間違えてヒヤヒヤでした。共演者にはご迷惑をお掛けしっ放しで…
稽古では、パニックになってリズムが分からなくなった私の背中を、ポンポンと優しく叩いてそっと教えてくれたり、私の歌い出しに合わせて息を吸って教えてくれたロドルフォのモッチーさんには感謝です。なんて優しいんだ!
ヒヤヒヤだったけど、本番だけはまともに歌えました!!
で、録音を聞いてみたら、ちゃーんとミミを歌ってた。
気にしてた1幕の出は旦那ちゃんに「合格」と言われたし、何にも気に病むことのない演奏でした。
でも歌った気しないのよ。
1日に2公演、いけるんじゃない?
って思うほど。
自慢でも何でもなく、これは私の声に合ってるってことなんですよね。ストレス無し。そういう役に出逢えたのはラッキーです。
でもなんで音楽が身体に入るのが遅かったんだろう???
来年は『愛の妙薬』アディーナ。
これまた出っ放しの役です。頑張ります。
少子化を止めろと言われても。
もうだいぶ前の、20年くらい前の話だけど。
当時、ある歌い手の団体に所属していて、ある時に先輩方や指導の方々やら、何かで一堂に会することがあったんです。
圧倒的に女性が多い音楽の世界、たくさんの女性に向かって年配の男性が
「これからは、君たちも少子化を止めるために貢献して、子どもを産んで貰わないと」
みたいなことを言ったんです。
そしたらどんな反応が返ってきたか…
反感を買うのは必然。
「だったら産んで育てて歌っていけるように、この団も子どもを産んで育てやすい環境にしてください」
当時、私は20歳代で「あぁ、いつか産まなきゃなぁ」などと悠長に考えてました。
意見を言った方、先輩は、お子さんがいらっしゃるのかいないのか、全く存じませんでしたが、子どもを産むにはもうスレスレの年齢だったのかもしれません。
もしかしたら出産するかどうするか、悩みに悩んで諦められたのかもしれない。
能天気に考えていたので、現実を見据えた意見にハッとしました。
産むと身動きできなくなるのは当然のこと。
産んですぐ、産む前と同じ状態(身動きがしやすい状態)にしたいといっても、物理的に無理だったりするわけで…
環境を整えるのも大事だけど、子を産み育てるのは自己犠牲が伴うってことを、産んでから気付いた私はおマヌケさんです。