ソプラノ川上真澄のオペラな生活

ソプラノ歌手の日常を。

正義?

「あべりょうの正義のYouTube広告」という歌を聞きました。

 

ゾッとしました。

 

虐められている子どもたちを助けたいという気持ちは分かります。

が、この方法は危険すぎます。

 

オリンピック開催の朝、参加国の数と同じ205人のいじめっ子の名前と学校名をYouTubeで晒すというもの。

 

歌は「いじめっ子の人生なんかどうでもいい」と続きます。

 

そうでしょうか?

人は間違いを犯します。

ましてや子どもは…

 

それにね、虐めている人って幸せじゃないんですよ。みんなが幸せになる方法を考えないと。

 

仮に「◯◯がいじめてます」って、いじめっ子が虐められているフリをして投稿したらどうなるでしょう?

冤罪だったらどうするのでしょうか?

 

そして、名前を挙げられた子は、不特定多数からのイジメを受けるでしょう。

新たなイジメが発生します。

この作者はそれを望んでいるのでしょうか?

いじめっ子の人生はどうでもいいと歌詞にあるように、新たなイジメを起こしたいのでしょうか…

 

聖書に、罪を犯した女が石を投げつけられている話が出てきます。(色々端折りますが)この時のイエス様の答えは

「罪を犯したことの無い人が、この女に石を投げつけなさい」と言います。

あべりょうさんは罪を犯したことがない、だから制裁を加えられるとでも言うのでしょうか。

優しい視点は持てないのでしょうか。やってることはイジメと同じと感じます。

 

さて、この正義のYouTube広告、虐められている人の名前も、いじめっ子と同列に扱うようです。

「○○小学校の△△が、××をイジメています」といった感じに。

 

歌詞は1対1なんです。

イジメって、1対1とは言えないんですよね…

そもそも、名乗りを上げる勇気があったら…

 

何か別の意図があってのYouTube投稿なんでしょうかね。