乙女にお願い!
ピアノを習い始めて中級レベルに達した少女たちに好んで弾かれるようです。ちょうど小学六年生頃でしょうか…私の友人もその頃に弾いていたのを覚えています。
この曲、のっけから指を1オクターブ開いた状態での演奏になります。12歳頃の女の子の手…。けっこう大変なんじゃないでしょうか。
実は私は弾いたことが無いのです。あちこちで話してますのでご存じの方は多いと思いますが、高校生からピアノを始めたこともあり、ピアノのレベルは…(私のとんでもピアノエピソードは数知れず)
さて、そんな『乙女の手』による『乙女の祈り』の演奏は小さな手で必死になって1オクターブを弾くので、乙女、ではなく、何か別のものになってしまっているように感じておりました。
結果『乙女の祈り』という曲自体が、そのように演奏するもの、そういった曲として定着しているような感じもするのです。
今回のコンサートの練習でピアニストが弾き出した時にあまりのマエストーゾな感じに
「それじゃ、私、歌えない」
いやぁ、ソプラノ歌手って怖いですねぇ😱
ま、それは冗談ですけど、前奏部分の雰囲気で歌い出しも決まってくるので、マエストーゾ(荘厳に、堂々として)な前奏にはそれを上回るか同等のマエストーゾな感じで歌い始めるのが自然と思います。
が、そういう曲でもないので、ここはやっぱり『乙女』でお願いしました。
「昔、乙女だったかもしれないけど、乙女でね!」
いやぁ、ソプラノ歌手って怖いですねぇ😱
ボンダジェフスカを研究されているドロタさんに、楽譜など演奏に関する資料は残っているかお聞きしたら
「何も残っていない」ということでした。
ということは、奏者の解釈での演奏で何ら問題はないということでしょう。
マエストーゾも有りかもしれませんが、少女がスキップするようなイメージを持っていました。
でも、マエストーゾな感じを少し残して『凛としたもの』を表現してもいいのかもしれません。そしたら歌い方も少し変わるかな。それは次回のお披露目に向けて、ピアニストと研究しようと思います。
次回は、10曲ほど新しく加えようと考えています。
でもこちらはほとんどネタ切れ…というか、8月のオペラ『愛の妙薬』公演でちょっと余裕が無くなってきました!!
このコンサートの次回は2年後を予定しています笑
今は
こっちに集中します❣️
乙女はいけない?(コンサート・その8)
『乙女の祈り』は宗教的であるとして、共産圏の支配下にあったポーランドでは演奏禁止になりました。
歌詞があるわけでもないし、グレゴリオ聖歌的な音楽でもないこの曲のどこが宗教的なのでしょうか…
タイトルに付けられた『乙女』がいかんのだそう。
日本人のイメージする乙女は、うら若い可憐な少女、といった感じですかね。
例えばこんな花のような…
(庭植えしていたヴィオラが、しぶとく生きてました!)
一方、ヨーロッパでは『乙女』というと『聖母マリア』のことを指します。
簡単に説明すると
(ポーランド語は分からないのでイタリア語で)
乙女の祈りをイタリア語では、
La preghiera di una vergineと言います。
祈りに当たる部分がLa preghiera
乙女に当たるのが una vergine
そう、vergine です。ヴェルジネって読みます。
英語読みしてみて。
聖母マリアは処女で受胎しました。ですので、聖母マリアのことをvergineと表現するのですかね…いや、逆かな。聖母マリアのことをVergineって言うから…?ま、言葉のことは分かりませんが、Vergineが聖母マリアを意味するのは間違いありません。
ポーランド語でのタイトルも乙女に当たる部分は、このvergineに相当する言葉が付けられているのでしょう。
そういうわけで、ちゃんと訳すと『聖母マリアの祈り』となるわけです。
ポーランドでは禁止されている間に、この曲は忘れ去られてしまいました。演奏できる世の中になったら、音楽評論家や音楽学者たちによって彼女の作品は価値のないものとしてこき下ろされました。
そういうことも加わって、日本のみ、それもピアノを習い始めて中級あたりに差し掛かった子どもたちによる演奏が主流に。日本にはそういった学者たちの『こき下ろし』は届いていたのかどうなのか。
しかしながら、音大生でレッスンに『乙女の祈り』を持っていった、という話は全く聞きません(たぶん怒られるんじゃないかしら)皆、子どもの頃に弾いて、音大時代は他にやらなければいけない曲で大変になりますから。
そういうわけで『ガラパゴス的』に残ったのかもしれません。
そうは言っても、この曲が生まれた頃は、たくさんの方に愛されたミリオンセラーだったわけです。全く価値がないとは言いきれないと思います。
聖母マリアの祈りというタイトルの曲に、アヴェ・マリアの祈りの歌詞を付ける…
思い付きで始めたことですが、こんなにしっくり来るものが出来上がるとは夢にも思いませんでした。
なかなか可愛らしい歌になりました。
そういえば、コンサートから2週間が過ぎました。お客様から報告は受けてませんし、私もピアニストもスタッフも元気なので、コロナの感染は無く、無事に乗り切ったということですね。
ありがとうございました😊
乙女の祈り(コンサート・その7)
先日、コンサートのお疲れ様ランチしてきました。ホントはガーッと飲んで…と、やりたいところでしたが…(緊急事態宣言中でアルコールの提供はどこもしてない)
さてさて。
『乙女の祈り』について。
ボンダジェフスカ…
聞いたことありませんね?
バダジェフスカ、これではどうでしょう?
乙女の祈りの作曲家です。
彼女の名前は知らずとも、メロディはどなたも耳にしたことがあると思います。(かつて川崎市ではゴミ収集車の音楽だったとか。新幹線の発着メロディになってる駅もあるそうです)
ポーランドでは彼女の名前はボンダジェフスカと読みます。日本ではバダジェフスカで知れ渡っていますから、通称でいくのがいいのかもしれません。でも名前は本人が呼ばれていた読み方で呼んであげたいと思います。
さて、そのボンダジェフスカの乙女の祈りですが、本国ポーランドではこの曲は全く知られていません。最近になって逆輸入という形でポーランドに知らされました。
日本に入ってきたのは明治時代。
西洋音楽とピアノの導入によって、数々のピアノの曲と一緒に入ってきました。
そして、曲のタイトルのイメージ、親しみやすくて可愛らしいメロディに、ピアノを習う少女たちの憧れの曲となりました。そうして、ガラパゴス的にこの曲は日本で生き残ることになりました。
一方、ポーランドでは忘れ去られていました。近年、ポーランドに留学、あるいはポーランドから日本に来た人たちによって、その存在は知られるようになりジャーナリストであるポーランド人のドロタさんにより研究がなされています。(元々、彼女とは知り合いだったんですが、まさかボンダジェフスカの研究をされてたなんて知りませんでした!)
彼女によると『全く資料は残されていない』そうで…
それでも残された文献、お墓、歴史的背景から見えてくるものもあります。
この曲が産み出された当時は、大変もてはやされたようです。楽譜も出版され、彼女の作品でない曲まで、彼女の人気にあやかって彼女の曲として出版されたものもあるとか。
もてはやされた背景には、サロン文化というものがあるようです。ブルジョワ階級の人々の集まりに女性が作曲した耳障りの良い華やかなピアノ曲…。皆がこぞって弾いたことでしょう。
残念ながら若くして亡くなりましたが、彼女のお墓には楽譜を持った少女の像があります。あの時代において、パートナーである夫の理解と応援があったのですね。そういう意味では『やっかみ』の対象になったのではないかとドロタさんは言います。
ポーランドは戦争によって苦しい時代を迎えます。
共産圏の支配下にあった時に『乙女の祈り』は演奏禁止となりました。
なぜか。
『乙女の祈り』だから、です。
この『乙女』というのが宗教的であると判断されたんですね。
『祈り』だからではないの???
ごく普通の日本人ならそう考えますね。
長くなるので、一旦ここまで。
なぜ『乙女』がいけないのか、ちょーっと考えていてくださいね!宿題!!!
キューンってするんだよね❤
カルチャーにて。
「先生、石崎ひゅーいさんの『アヤメ』って曲知ってる?」と、生徒さん。
何かのドラマのエンディングか何かで流れていたそうで。
私、テレビは見ないので全く分からず。
このアーティストさんも全く存じ上げず…
これは菖蒲。アヤメと見分け方が分かりません…
すぐにスマホで検索。
「そうそう、この曲!この部分がね、何だか懐かしいような、切ないような…」
じゃあ楽譜を入手して、教室で取り上げましょうね!と言ったらとても嬉しそう。
なんで懐かしい感じがするんだろう?どこかで聞いたことあるのかなぁ?なんて言ってましたが、そういうわけではないと思いますよ。5月7日にリリースされたばっかりだもの😎
初めて聞くのに懐かしいような、胸がキューンとなる曲ってありますね。そう感じる曲やメロディは人それぞれで、一生のうち、そういう曲に出会うのはホンの僅かかもしれない。だからそういう想いは大切にしたいなぁと思います。
私もつい先日、久々に『キューン』となる曲に出会ったんです。フォーレの歌曲…歌いたいなぁ。フランス語かぁ…
この曲、ここからのメロディがいいのよ!って、二人ほどに聞いて貰いましたが
「あぁ、フォーレっぽいね」
…
そうよね。ズキューンって、誰もがなるわけではないのよ。
だから生徒さんの「ここからのメロディが…」と、ちょっと興奮気味に話されてるのを見て、大いに肯定してあげ…ようと思ったけど、
全然ズキューンって来なくて(私にとってはなんじゃこりゃ?みたいな)反応はイマイチになってしまったかも笑
そういうわけで楽譜を探してます。
出版されてるのかしら???
ヨーロッパの6月(コンサート・その5)
チャイコフスキーのピアノ曲『舟歌』も今回、アヴェ・マリアとしてアレンジしました。
ロシアの12ヶ月を題材に作られたピアノ作品集の6月にあたります。
6月というと日本ではジメジメ梅雨のイメージですが、ヨーロッパの6月は気持ちの良い私の好きな季節。今度イタリアに行く時は6月❣️と思うほど。(もう20年以上も昔のことになりますが5月末にイタリア中部のエルバ島で海水浴しました。気持ち良かったですよ)
イタリア・エルバ島の海(2016年夏 撮影)
ロシアもきっと6月は外に繰り出し舟に揺られて遊びたくなる気候なんでしょう。
ところで、舟歌というと大抵が8分の6拍子などの8分音符、2拍子系のリズムで書かれることが多いと思うのですが、このチャイコフスキーの『舟歌』は4分の4拍子です。それでも、水の上をたゆとう感覚はあります。メロディは物悲しく美しい。途中で長調に転ずるところからは、やはり「Sancta Maria」の言葉を入れました。これも曲の起承転結と、お祈りの起承転結がピッタリ合った良いアレンジになったと思います。
久しぶりにイタリアの画像を取り出していたら、イタリアに行ってる夢を見ました。馴染みのBarでCappuccinoを注文してました。
羽田・ローマが開通しましたね。ですが私たちはいつも途中で乗り換えてフィレンツェに降ります。ヨーロッパ国内線は小さい飛行機✈️なので、ちょっとワクワクします。今度はいつ行けるのでしょうね…
ピアノ曲が多くなる(コンサート・その4)
クラシックの名曲にアヴェ・マリアの祈りを歌詞としてアレンジする。
やはり、ピアノ曲が多くなってしまいました。
歌はほとんどがピアノと一緒に演奏します。ピアノ曲ですと、原曲をそのまま伴奏として、旋律を取り出して歌う箇所とした方がアレンジとしては楽なのです。
オーケストラの曲ですと、まずはそれをピアノ伴奏用にアレンジ、旋律を取り出して…ということをせねばなりませんから。
まあ、そんな大変な作業は作曲専門の方にお任せするとして、オケの曲はピアノ用にアレンジしてあるのを使いました。そこに足りない音を足したり、更にアレンジしたり。それは今回ご一緒したピアニストが得意にされてるので、自由にお願いしました。
亜麻色の髪の乙女、春の歌、別れの曲、ベートーヴェン『悲愴』、乙女の祈りもアヴェ・マリアに。
これらの曲に限らず、ピアノ曲というのは素敵な歌いやすいメロディで始まったとしても、ピアノ用の曲なので当たり前と言えば当たり前ですが、和音や複雑な音形を聴かせる部分が出てきます。とてもじゃないけど、歌うとするとどうしよう?という箇所。
それらも上手い具合にまとまって満足しました。
実は今回お披露目した13曲の他にも着手しているものもありましたが、何曲かは挫折しているのです。音域が広すぎたり、音形が声楽的でなかったり、ピアノにアレンジされてる楽譜が手に入らなかったり。
音域が広いものに関しては調を変えるなどして対応しましたが、なるべく原調で歌うようにしました。なので、少し低いですがショパンの『別れの曲』は原調で。
転調させるにしても、シャープ系はシャープの調に、フラット系はフラットに。音域の調整が上手くいくと、あとはすんなり進みます。
簡単に移調させてるようですが、調には『色』を感じます。ホ長調は私の中では黄色のような感じがします(桃色だと言ってる方が多いですが)
なので、あまりにも調が変わってしまうと別な作品のようで…
でも、どうせアレンジしてるのですから、それは気にしなくていいのかもしれませんね。
旋律は、面白いことに個々で感じているメロディが違うのです。ピアニストが提示してきた旋律、私が取り出した旋律、お互いに「え?その音?」ということもありました。どちらも間違いではないのです。和音の中で鳴ってる音なので。でも、聞き手によって受け取り方がこうも違うのだというのを目の当たりにして、面白い発見でした。
アヴェ・マリアとは何ぞや(コンサート・その3)
先日のコンサートで話したことをまとめています。
(話してないことも追記してます)
アヴェマリアの歌というと、どなたの作曲のを思い浮かべるでしょうか。
有名なところではシューベルトですかね。
ちょっとマニアックな方になると、バッハの平均律にグノーがメロディを付けたもの。そんなところでしょうか。
ある方に、教会からコンサートの依頼があって、プログラムを組んだらアヴェ・マリアは歌わないでくださいと言われたけど、どうして?と聞かれたことがあります。
察しのいい方はお気づきかと思いますが、そこはプロテスタントの教会だったんでしょうね。
今回、クラシックの名曲にアヴェ・マリアの祈りを歌詞として付けました。
バッハ/グノーのアヴェ・マリアの歌詞も、この祈りを付けたものです。
つまりこれは、マリア様への祈りです。
プロテスタントの教会で歌わないでください、と言われるのはどうしてか分かりますよね。プロテスタントはマリア信仰では無いからです。
カトリック信者がロザリオを持って祈りますが、その時に唱える祈りでもあります。そしてロザリオはネックレスではありません。祈るための道具です。あるミュージカルで、シスター役がロザリオを首に掛ける演技を見ましたが、そういうのを目にすると冷めてしまいます。私たちはロザリオを首から掛けるなんて恥ずかしくてしません。ましてやシスターが、だなんて。絶対に有り得ない。
ちょっと脱線しますが…
なんというかね、西洋音楽をやるということは文化、宗教の背景も知らないといけないと思うのですよ。見る側、聞く側は必要ないと思いますが、でも分かっていたら面白い。
カヴァレリア・ルスティカーナというオペラで、サントゥッツァがイースターなのに私はミサには行けない(行かない)と言うのはどうしてなのか。
カトリック信者なら「ははーん」と分かるんですが、どうでしょう?(ちなみに恥ずかしいのでここでは説明しません!)
椿姫だって、ヴィオレッタがアルフレードとの別れを決意するの、あれ、アルフレードの父親に言われたからでしょうか。ここにも宗教が絡んできます。決定的な台詞(歌詞)が出てくるんですよ。(詳しくはまた私がヴィオレッタを歌う時にブログに挙げますね)
カルメンのミカエラだって、その名前からすると役作りに生かせますし、
リゴレットに出てくるマッダレーナ…どうしてこの名前なのか。先日のコンサートにいらした方は(少し話しましたので)容易に想像が付くと思います。マッダレーナはマグダラのマリアのことですからね!背景を知ると深みが増して愉しいですね。
昔は(今も?)アヴェ・マリアの祈りは天使祝詞と言いました。マリア様への祈りなのに天使?なぜに?
受胎告知をテーマにした絵画がありますね。大天使ガブリエルが百合の花を手に、マリア様に「あなたは神の子を身ごもっています」と知らせに来る場面です。
アヴェ・マリアの祈りの最初の2行はこの時の大天使ガブリエルの台詞です。そういうわけで、この祈りは『天使祝詞』と呼ばれています。
次の2行はマリア様の従姉妹のエリザベトが言った言葉。
この4行は7世紀初頭、待降節第4主日のミサの奉納で歌われていたそうで、グレゴリオ聖歌の最古のアヴェ・マリアとして楽譜が現存しています。
この曲は2018年に百合ヶ丘カトリック教会で歌いました。ネウマ譜は読み取るのが大変で…。音楽も普通に耳にしたり歌うのとは趣が全く異なるので難しかったです(もう歌わなくていいです笑)
ちなみに、待降節とはクリスマス前の期間を言います。4回前の日曜日から第1主日、第2、…と呼びます。
例えば12月24日が日曜日だったら、その日は待降節第4主日となるわけです。で、24日その日の夜に夜半のミサ、25日にもミサ…とても忙しくなります。
後半の4行は1440年頃、シエナのフランシスコ会士ベルナルディヌスによるもの、と言われています。
ですからこの形での祈りは1400年半ばから祈られているということになりますね。
さて、そうするとシューベルトのアヴェ・マリアはどうでしょう?
実はあの曲はお祈りではないのですね。
マリア様にお祈りをする少女の歌です。なのでプロテスタントの教会でもOKのような気がします。マリア様を賛美しているわけではないので。
ちなみに『天使祝詞』の祈りは、私は一人で祈る時は昔の文語体の祈りで唱えています。
「めでたしせいちょう満ちみてるマリア」で始まる祈りです。文語体の方がスンナリ入ってくる感覚があります。もう何度も口ずさんだ祈りなので、こちらの方が馴染んでいます。
今は「アヴェ・マリア、めぐみに満ちた方」で始まりますが冒頭の「アヴェ・マリア」をそのまま残したのはとっても良いと思います。
「アヴェ」は、イタリア語で言うところの「Salve」に当たるんでしょうか。「やぁ」とか「こんにちは」とかの挨拶に加えて「おめでとう」という意味合いもあるとか。(そうするとSalveは少しニュアンスが違うかな)
「アヴェ・マリア」という言葉は日本に馴染んでるとして、この祈りにラテン語原文そのまま残したとコンプリ神父様に聞きました。(コンプリ神父様のご意見で決まったそうですよ)
知り合いの「あべ」さんに女の子が生まれたので、名前は「まりあ」ちゃんにしたら?と提案したら却下されました笑