ソプラノ川上真澄のオペラな生活

ソプラノ歌手の日常を。

聖人(コンサート・その6)

まあ色々喋りましたが、聖人のことは一般の方はよく分からないんじゃないかと、この話題も入れました。

 

聖人になる前に、段階を踏むことがあります。

チマッティ神父様は現在、尊者でいらっしゃいますが、認められれば次には福者、そしてようやく聖人です。

 

カトリック信者は洗礼の時に聖人から名前を頂きます。幼児洗礼の人は自分が分からないうちに名前を頂いてしまうので、10~13歳あたりで堅信を受け、新たに名前を頂くことが出来ます。

私も堅信で洗礼名とは別に名前を頂きました。

 

聖人は職業も守護しています。

私が堅信で頂いたセシリア(イタリア語読みでチェチリア)は音楽の守護聖人です。

 

洗礼や堅信で頂いた名前って、少なからずその人の生き方や性格に影響を与えていると感じます。

実際、セシリアを頂いてから音楽の道が開けたような感覚がありますし、他の方の洗礼名や堅信名を聞くと何となくなるほどね、と思ってしまいます。あくまでも感覚ですが『名は体を表す』に通ずるものがあるように感じるのです。

 

職業の守護聖人は、ホントにありとあらゆる職に付いています。お医者さんやジャーナリスト、コメディアンや娼婦(職業か?)それこそ何にでも。

 

今週はグズつくお天気になりそうですね。やっと梅雨入りでしょうか。

雨に関する聖人っているのか?と調べたら、ちゃんといました。聖スコラスティカです。

これは『雨乞い』のための聖人なのか『雨による災害から守ってください』とする聖人なのか、どちらか分かりませんが『雨』の聖人だそうで。

雨が降らなくても困りますし、かといって土砂降りによる災害もいけません。適度にお願いしますと祈っておけば大丈夫かな。

 

 

ヨーロッパの6月(コンサート・その5)

チャイコフスキーピアノ曲舟歌』も今回、アヴェ・マリアとしてアレンジしました。

ロシアの12ヶ月を題材に作られたピアノ作品集の6月にあたります。

 

6月というと日本ではジメジメ梅雨のイメージですが、ヨーロッパの6月は気持ちの良い私の好きな季節。今度イタリアに行く時は6月❣️と思うほど。(もう20年以上も昔のことになりますが5月末にイタリア中部のエルバ島で海水浴しました。気持ち良かったですよ)

f:id:sop-masumi:20210611095607j:image

イタリア・エルバ島の海(2016年夏  撮影)

 

ロシアもきっと6月は外に繰り出し舟に揺られて遊びたくなる気候なんでしょう。

 

ところで、舟歌というと大抵が8分の6拍子などの8分音符、2拍子系のリズムで書かれることが多いと思うのですが、このチャイコフスキーの『舟歌』は4分の4拍子です。それでも、水の上をたゆとう感覚はあります。メロディは物悲しく美しい。途中で長調に転ずるところからは、やはり「Sancta Maria」の言葉を入れました。これも曲の起承転結と、お祈りの起承転結がピッタリ合った良いアレンジになったと思います。

 

久しぶりにイタリアの画像を取り出していたら、イタリアに行ってる夢を見ました。馴染みのBarでCappuccinoを注文してました。

羽田・ローマが開通しましたね。ですが私たちはいつも途中で乗り換えてフィレンツェに降ります。ヨーロッパ国内線は小さい飛行機✈️なので、ちょっとワクワクします。今度はいつ行けるのでしょうね…

ピアノ曲が多くなる(コンサート・その4)

クラシックの名曲にアヴェ・マリアの祈りを歌詞としてアレンジする。

 

やはり、ピアノ曲が多くなってしまいました。

歌はほとんどがピアノと一緒に演奏します。ピアノ曲ですと、原曲をそのまま伴奏として、旋律を取り出して歌う箇所とした方がアレンジとしては楽なのです。

オーケストラの曲ですと、まずはそれをピアノ伴奏用にアレンジ、旋律を取り出して…ということをせねばなりませんから。

まあ、そんな大変な作業は作曲専門の方にお任せするとして、オケの曲はピアノ用にアレンジしてあるのを使いました。そこに足りない音を足したり、更にアレンジしたり。それは今回ご一緒したピアニストが得意にされてるので、自由にお願いしました。

 

亜麻色の髪の乙女、春の歌、別れの曲、ベートーヴェン『悲愴』、乙女の祈りアヴェ・マリアに。

これらの曲に限らず、ピアノ曲というのは素敵な歌いやすいメロディで始まったとしても、ピアノ用の曲なので当たり前と言えば当たり前ですが、和音や複雑な音形を聴かせる部分が出てきます。とてもじゃないけど、歌うとするとどうしよう?という箇所。

それらも上手い具合にまとまって満足しました。

 

実は今回お披露目した13曲の他にも着手しているものもありましたが、何曲かは挫折しているのです。音域が広すぎたり、音形が声楽的でなかったり、ピアノにアレンジされてる楽譜が手に入らなかったり。

 

音域が広いものに関しては調を変えるなどして対応しましたが、なるべく原調で歌うようにしました。なので、少し低いですがショパンの『別れの曲』は原調で。

転調させるにしても、シャープ系はシャープの調に、フラット系はフラットに。音域の調整が上手くいくと、あとはすんなり進みます。

 

簡単に移調させてるようですが、調には『色』を感じます。ホ長調は私の中では黄色のような感じがします(桃色だと言ってる方が多いですが)

なので、あまりにも調が変わってしまうと別な作品のようで…

でも、どうせアレンジしてるのですから、それは気にしなくていいのかもしれませんね。

 

旋律は、面白いことに個々で感じているメロディが違うのです。ピアニストが提示してきた旋律、私が取り出した旋律、お互いに「え?その音?」ということもありました。どちらも間違いではないのです。和音の中で鳴ってる音なので。でも、聞き手によって受け取り方がこうも違うのだというのを目の当たりにして、面白い発見でした。

 

 

 

アヴェ・マリアとは何ぞや(コンサート・その3)

先日のコンサートで話したことをまとめています。

(話してないことも追記してます)

 

アヴェマリアの歌というと、どなたの作曲のを思い浮かべるでしょうか。

有名なところではシューベルトですかね。

ちょっとマニアックな方になると、バッハの平均律にグノーがメロディを付けたもの。そんなところでしょうか。

 

ある方に、教会からコンサートの依頼があって、プログラムを組んだらアヴェ・マリアは歌わないでくださいと言われたけど、どうして?と聞かれたことがあります。

察しのいい方はお気づきかと思いますが、そこはプロテスタントの教会だったんでしょうね。

 

今回、クラシックの名曲にアヴェ・マリアの祈りを歌詞として付けました。

f:id:sop-masumi:20210608113935j:image

バッハ/グノーのアヴェ・マリアの歌詞も、この祈りを付けたものです。

つまりこれは、マリア様への祈りです。

プロテスタントの教会で歌わないでください、と言われるのはどうしてか分かりますよね。プロテスタントはマリア信仰では無いからです。

 

カトリック信者がロザリオを持って祈りますが、その時に唱える祈りでもあります。そしてロザリオはネックレスではありません。祈るための道具です。あるミュージカルで、シスター役がロザリオを首に掛ける演技を見ましたが、そういうのを目にすると冷めてしまいます。私たちはロザリオを首から掛けるなんて恥ずかしくてしません。ましてやシスターが、だなんて。絶対に有り得ない。

 

ちょっと脱線しますが…

なんというかね、西洋音楽をやるということは文化、宗教の背景も知らないといけないと思うのですよ。見る側、聞く側は必要ないと思いますが、でも分かっていたら面白い。

 

カヴァレリア・ルスティカーナというオペラで、サントゥッツァがイースターなのに私はミサには行けない(行かない)と言うのはどうしてなのか。

カトリック信者なら「ははーん」と分かるんですが、どうでしょう?(ちなみに恥ずかしいのでここでは説明しません!)

椿姫だって、ヴィオレッタがアルフレードとの別れを決意するの、あれ、アルフレードの父親に言われたからでしょうか。ここにも宗教が絡んできます。決定的な台詞(歌詞)が出てくるんですよ。(詳しくはまた私がヴィオレッタを歌う時にブログに挙げますね)

カルメンのミカエラだって、その名前からすると役作りに生かせますし、

リゴレットに出てくるマッダレーナ…どうしてこの名前なのか。先日のコンサートにいらした方は(少し話しましたので)容易に想像が付くと思います。マッダレーナはマグダラのマリアのことですからね!背景を知ると深みが増して愉しいですね。

 

 

昔は(今も?)アヴェ・マリアの祈りは天使祝詞と言いました。マリア様への祈りなのに天使?なぜに?

 

受胎告知をテーマにした絵画がありますね。大天使ガブリエルが百合の花を手に、マリア様に「あなたは神の子を身ごもっています」と知らせに来る場面です。

アヴェ・マリアの祈りの最初の2行はこの時の大天使ガブリエルの台詞です。そういうわけで、この祈りは『天使祝詞』と呼ばれています。

 

次の2行はマリア様の従姉妹のエリザベトが言った言葉。

 

この4行は7世紀初頭、待降節第4主日のミサの奉納で歌われていたそうで、グレゴリオ聖歌の最古のアヴェ・マリアとして楽譜が現存しています。

この曲は2018年に百合ヶ丘カトリック教会で歌いました。ネウマ譜は読み取るのが大変で…。音楽も普通に耳にしたり歌うのとは趣が全く異なるので難しかったです(もう歌わなくていいです笑)

 

ちなみに、待降節とはクリスマス前の期間を言います。4回前の日曜日から第1主日、第2、…と呼びます。

例えば12月24日が日曜日だったら、その日は待降節第4主日となるわけです。で、24日その日の夜に夜半のミサ、25日にもミサ…とても忙しくなります。

 

後半の4行は1440年頃、シエナフランシスコ会ベルナルディヌスによるもの、と言われています。

 

ですからこの形での祈りは1400年半ばから祈られているということになりますね。

 

さて、そうするとシューベルトアヴェ・マリアはどうでしょう?

実はあの曲はお祈りではないのですね。

マリア様にお祈りをする少女の歌です。なのでプロテスタントの教会でもOKのような気がします。マリア様を賛美しているわけではないので。

 

ちなみに『天使祝詞』の祈りは、私は一人で祈る時は昔の文語体の祈りで唱えています。

「めでたしせいちょう満ちみてるマリア」で始まる祈りです。文語体の方がスンナリ入ってくる感覚があります。もう何度も口ずさんだ祈りなので、こちらの方が馴染んでいます。

 

今は「アヴェ・マリア、めぐみに満ちた方」で始まりますが冒頭の「アヴェ・マリア」をそのまま残したのはとっても良いと思います。

「アヴェ」は、イタリア語で言うところの「Salve」に当たるんでしょうか。「やぁ」とか「こんにちは」とかの挨拶に加えて「おめでとう」という意味合いもあるとか。(そうするとSalveは少しニュアンスが違うかな)

アヴェ・マリア」という言葉は日本に馴染んでるとして、この祈りにラテン語原文そのまま残したとコンプリ神父様に聞きました。(コンプリ神父様のご意見で決まったそうですよ)

 

知り合いの「あべ」さんに女の子が生まれたので、名前は「まりあ」ちゃんにしたら?と提案したら却下されました笑

 

人の名前を借りる(コンサート・その2)

アルビノーニアダージョカッチーニアヴェ・マリア

どちらも、タイトルの名前の人が作曲したものではありません。

 

もう!騙されてましたよ、私!!!

 

アルビノーニは、R.ジャゾットというイタリアの音楽学者によるもの。

図書館で断片を見つけて、それを元に作曲したとジャゾットさんは言っていたようですが…それはどうやら嘘だったみたい。

 

カッチーニの方は、V.ヴァヴィロフというロシアの人が作ったそうで。

 

1995年くらいに急にブームになって出回った曲です。とっても素敵なメロディで、しかも歌詞がアヴェマリア、ああ、アーメン、これしか無いので楽譜が手に入ったら誰もが手軽に歌ったような…

 

カッチーニはイタリア古典歌曲の『アマリッリ』を作曲した人。すっごーく古臭い(ごめんなさい)歌です。いや、曲としては素敵な曲ですよ。いい歌です。

で、カッチーニアヴェ・マリアと呼ばれるこの曲、とってもモダンなんです。

カッチーニ作曲ぅ?アマリッリのぉ?

なんですが、まんまと騙されてました。

メロディだけ残っていて伴奏部分を現代的にアレンジしたのかな、と思ってました。

けどね、よくよく考えてみると「アヴェ・マリア、ああ、アーメン」だけの歌詞なんて、この時代では考えられないですよ。やはりちゃんと、Grazia plena…と、先まで繋げないと。

 

人の名前を借りて世に出す、よくあったみたいですね。

その逆もあって、他の人が作曲したのを自分の作品として世に出すというもの。数年前に日本でもありましたねぇ。しかも目が見えてないとか言ってたのに見えてたとか…

 

お導き(コンサート・その1)

アヴェ・マリアばかりを歌ったコンサート。

17曲のうち13曲は世界初演となりました。

この13曲は音楽自体は世に出回ってるものですが、そこにアヴェ・マリアの歌詞を付けて…というのはお初だと思います。そういう意味で世界初演

 

たった一つ、きっかけになった曲がありましたが、それすらも楽譜は出版されてないので(CDは既に廃盤)13曲全てがオリジナル。

 

きっかけになった曲は『アルビノーニアダージョ

長崎の聖コルベ館に寄った時に、BGMで流れていたんです。『アルビノーニアダージョ』にアヴェ・マリアの歌詞が付いているのを、そこで初めて聞きました。すぐに調べましたが楽譜も出版されていません。

 

ご存じのようにこの曲、とっても素敵なんですよね。こんな素敵なメロディを歌えたら、それもマリア様への祈りの言葉を乗せて歌えたら何て素敵なんでしょう…

と思った時に、自分でやってしまえばいいんだ❣️

と、閃きました。

 

この『ひらめき』を与えてくれたのは、コルベ館。

きっとコルベ神父様のお導き。

今回、ご来場くださった信者の方に「神様の手足となって働いてますね」と言われました。他の信者の方には「ミサの終わりに教えを伝えるために行きましょうと言うでしょ、それを行ってるね」とも。

まあ、上手い具合に乗せられて動いているような気もします笑。歌う能力を頂いたので、私はただ、ひたすら歌うだけなんですが、私にとっては歌うことが楽しみ、喜びと感じるようにしてくださったので有難いです。

 

コルベ神父様は長崎に宣教にいらしてました。戦時中にお国(ポーランド)に戻られた時にナチスに捕まり、アウシュヴィッツに送られ、処刑される人の身代わりになって亡くなりました。(詳しくはお調べください。すぐに出てくると思います)

 

コルベ神父様の名前はマキシミリアノ・マリア・コルベ。『無原罪の聖母の騎士』を出版するなど、マリア様とは深い繋がりのあった方だと思います。(カトリック信者は皆、そうだと思いますが、特にね)

そのコルベ館で、アヴェ・マリアをクラシックの名曲に乗せる、ということを思い付いたのですから、きっとこれはコルベ神父様のお導きだと思うのです。

f:id:sop-masumi:20210608112135j:image

今回のプログラム。

アルビノーニアダージョとは言いますが、アルビノーニ作曲ではありません。

イタリアの音楽学者R.ジャゾットによる現代の曲です。実は今回取り上げるまではアルビノーニの作品と思って疑ってませんでした…。それくらい古くさーい!感じのする曲ですが、メロディは心打つものがあると思います。

 

この曲をきっかけに歌詞当てこみ作業を始めました。これがまたスンナリ行ったんですね。(早々に挫折してたら止めてたと思います)

アヴェマリアの祈りは、ラテン語(ローマカトリック式の読み方)にしました。

スンナリ行ったわけは、祈り(ラテン語)の起承転結と、音楽の起承転結が上手い具合に合ったからだと思います。

 

終わりました

アヴェ・マリアばかりを歌ったコンサート、爆笑?のうちに終わりました。

f:id:sop-masumi:20210607233340j:image

予想以上のお客様…

本当に有り難かったです。

話していて、ここウケるところなのになぁ…笑わないなぁ反応鈍いなぁと思っていたら、マスクで表情がよく見えないから分からなかっただけでした。

これではいかんと、これでもかと盛り込んだら吹き出してくださるお客様有り、声を挙げて笑ってくださる方もいて、けっこう笑ってくれたので安心しました。

 

 

って、ソプラノ歌手のコンサートなんですが。

コントか漫才か…

 

アヴェ・マリアばかりを集めましたが、ほとんどがオリジナル作品でした。曲自体は世に出回っていますが、歌(ソプラノ)用に編曲してアヴェ・マリアの歌詞を付けたのは世界初演となりました。

で、13曲ばかり作ったんですが、既存の曲も少し加えて17曲。演奏時間、45分也。

 

え?????

 

これでは不味いよね?

 

というわけで、こういった曲を作るに至った経緯など色々話していたら2時間オーバー。細切れですが、1時間くらい喋りました。

そんなに喋る歌手っている???

 

いないと思います。

 

そんなに喋ったら喉が疲れて歌声ヘロヘロになりますもん。

私?

私はならない。(と思う)

オペラ・アリアを歌うようなコンサートだったらこんなに喋りません、喋れないと思いますけどね。

 

話すに当たって色々調べましたので、忘備録も兼ねてこのブログに挙げていこうと思います。

 

ご来場頂いたみなさま、ありがとうございました。

楽しい時間を過ごせて嬉しかったです❣️

f:id:sop-masumi:20210607234938j:image

稲城市民オペラの皆さんから頂いたお花。